まずお知らせをひとつ。過日、本会会長の島田昌弘氏が、久喜市から表彰を受けました。
島田家は、藩政期、房川渡中田関所の番士を代々務めてこられた家系であり、通行手形や御用留等大変貴重な文書群が「島田家文書」として、代々大切に保管され、久喜市指定文化財にも登録されておりました。
島田氏は、今回、その文書群を久喜市に寄贈なされ、このことに対して久喜市より表彰状が贈呈されました。
向かって右、島田昌弘氏、左は久喜市長田中暄二氏 |
もう一つお知らせ。久喜古文書研究会の実施予定日時を掲載します。
会のメンバーは多彩。元自衛隊の方、御百姓、元銀行マン、地質調査の元役人、元教員の方、中には「速水堅曹研究会」の方や「江戸東京博物館藩史研究会」の方、また烈々たる「歴女」の方々等々様々です。筆者もよく分かっていません。というのも、誰も自分の過去の栄光や辛苦を語らないのです。「今この時」を真っ新な気持ちで歴史と古文書に捧げているというわけです。
2016年10月3日(月) 13:00~15:00 於栗橋公民館研修室
2016年11月7日(月) 13:00~15:00 於栗橋公民館研修室
2016年12月5日(月) 13:00~15:00 於栗橋公民館A102号室
2016年 1月9日(月) 13:00~15:00 於栗橋公民館A102号室
見学自由です!
〔翻刻文〕
四月廿三日
一昨日到来之御用答差出如左之
宿継御用状致拝見候、然者歩兵屯所ゟ日光表江差立候荷物通方及差支候、子細委細之儀者宿役人共ゟ其御役所并日光表在勤之御目付方江申立候得者、御目付方歟御役所ゟ通方御関所江御達有之御手続宿役人共江申達、殊ニ其節御役所ゟ御出役鈴木真三郎殿居合、右荷物通方拙者共江御談有之候得共、難相通子細御同人江及挨拶候処、御同人ゟも宿役人共江御申付御役所へ委細為申立候趣御談判二付、拙者共ゟ者為念一応御届申上候義之処、如何行違之筋有之候哉、宿役人共ゟ御役所へ御届不申趣、然ル処日光表在勤之御目付方ゟ右荷物通方御達有之候間早速相通申候、巨細者昨廿ニ日付ニ而御届申上候間左様御承知可被下候
右之段御請旁如斯御座候、以上
子四月廿三日 足立柔兵衛
冨田潤三
加藤摝兵
嶋田耕平
渡辺幸之助殿
小菅十一郎殿
松澤俊助殿
山口市郎次殿
〆
四月廿三日
歩兵差図役下役並勤方 大塩瀧之丞
上下弐人
右之者従日光江戸へ通歩兵頭河野伊豫守殿合印持参断引合相返ス事
同廿四日 水戸殿御家来 美濃部又五郎
上下六人
右者野州栃木ゟ帰府之由ニ而、御目付方合印大山栄蔵と申者持参断引合相違無之ニ付相通、尤又五郎義 公儀御目見以上之趣ニ而手札認メ差出則乗駕通行也
右同日 水戸殿御家来
小林平之進
梅原鉄之介
右者栃木ゟ江戸江通目付方印鑑を以断出候事
右同日 右同断 沼田準次郎
右者小山宿ゟ江戸迄通例之印鑑ニ而断也
四月廿五日 水戸殿家来
古賀米次郎
中西其三郎
中村松太郎
右者従江戸野州栃木迄相通候由、目付方合印ニ手札添差出、尤釼術稽古道具人足ニ為持相通候事
同日 当支配加判 山口市郎次
右者日光御警衛之役々江焚出為御用先達而彼地江相越候処、一ト先賄之料買入として帰府、歩兵・人足其外役々共八百三拾人之賄之由也
四月廿六日 水戸殿家来 西村三平
右者従江戸野州栃木迄通目付方合印差出断通ル事
〔訳文〕
四月二十三日
一昨日到来の御用状に対して、以下のように御用答を差し出しました
宿継の御用状を拝見いたしました。
さて、歩兵屯所より日光表へ発送しました荷物が関所通行出来なくなったことにつき、詳しい事情を申し上げます。
まず、神田小川町歩兵屯所と日光表在勤の御目付方へ宿役人共より申し立てたうえで、御目付方か屯所より通方について御関所へご命令いただき、その手続を宿役人共へ指示していただきたかったのですが、
その際屯所よりご出張の鈴木真三郎殿がちょうど関所に居合わせて、拙者共にその荷物の通行許可を望まれましたが、
然るべき手続きがなされなければ通すことが出来ない旨お答えいたしまたところ、
御同人からも屯所へ子細を申し立てるよう宿役人共に指示なされたわけです。
そこで拙者共も念のため屯所の方へご連絡申し上げるべきところ、
どういう行き違いか宿役人共より屯所へ連絡申し上げていないとのこと。
そんな時に日光表在勤の御目付方より、荷物通方のご指示があり早速お通し申したというわけです。
これらの一部始終は昨二十二日付御手紙に記しておりますので、そのように御承知なさってください。
以上種々御承知ください。
子四月二十三日 足立柔兵衛
冨田潤三
加藤摝兵
嶋田耕平
渡辺幸之助殿
小菅十一郎殿
松澤俊助殿
山口市郎次殿
〆
四月二十三日
歩兵差図役下役並勤方 大塩瀧之丞
上下弐人
右の者日光より江戸へ通る歩兵頭河野伊豫守殿合印を持参して引き合わせ返却ス
同二十四日 水戸殿御家来 美濃部又五郎
上下六人
右は野州栃木より江戸に帰るということ、御目付方合印を大山栄蔵という者が持参して引き合わせ間違いないためお通ししました。尤も又五郎殿は公儀御目見以上ということもあり、手札を書いて差し出したので乗駕通行といたしたました。
右同日 水戸殿御家来
小林平之進
梅原鉄之介
右は栃木より江戸へ通る目付方印鑑を以って通行許可しました
右同日 右同断 沼田準次郎
右は小山宿より江戸迄通る例の印鑑にて許可しました
四月二十五日 水戸殿家来
古賀米次郎
中西其三郎
中村松太郎
右は江戸より野州栃木迄通るということ、目付方合印に手札を添えて差し出しました、尤も釼術稽古道具は人足に持たせ通りました。
同日 当支配加判 山口市郎次
右は先達て日光御警衛の方々へ焚出御用のため参られましたが、いったん賄いの材料を買い入れるため江戸に帰るというものです。歩兵・人足その外八百三拾人の賄とのこと。
四月廿六日 水戸殿家来 西村三平
右は江戸より野州栃木迄通る目付方合印を差し出し、通行許可のこと