今回は、元治元年六月七日、関所番士嶋田耕平の御用留書の写真版を御覧戴くことにしました。急いで書き取った乱筆ぶりが窺われ、また最後の5行の朱筆の部分は薄くてなかなか読みにくい状態ですが、古文書研究会の面々は見事に解読して下さいました。担当なさった御名前を順に記します。坂内盛夫さん→細井宏祐さん→小林春樹さん→舘山誠→江藤圭子さん→梅田博さん。特に梅田さん担当の最後の5行が大変ですね。 読者諸氏もご検討願います。
写真版1 |
子六月七日
一酉ノ上刻当支配御役所へ一同評議之上左之通御用状差出候事
急刻付を以致啓上候、然者浮浪之徒去月晦日太平山引払同夜栃木町泊、当朔日小山宿泊りニ而筑波山江引取候趣聞込候処、俄ニ引戻シ四日壬生城下近辺飯塚川岸と申処江大勢押寄、鳥居丹波守殿江申入候者、此度橫浜攘退之者共ニ候得共、人数不足二付加勢申請度、若承引無之ニおゐてハ争戦之上人数惜請候旨申入候処、丹波守殿役々出張加勢等之儀決而不相成趣、討手等差向候義ニも候ハヽ勝手次第可致旨
写真版2 |
及応接候由、右ニ付御同人江戸屋敷江為注進相越候家来ゟ承り申候処、其張追々風聞ニ者小山宿江引取候哉之様子ニ承り候処、同所ゟ猶又戸田長門守殿領分野州栃木町陣屋江押寄昨夜同所乱入致し候処、兼而右陳屋ニ而手当等有之候哉大炮・小銃等を以打払候二付、徒党之者共逃去なから町家数ヶ所火ヲ掛有増焼払其夜生駒村と申処江
写真版3 |
退夫ゟ小山宿江相越又々間々田宿江立越候哉之旨、諸家知行所其外飛脚之者共通掛追々風聞致承知候、且又土井大炊頭殿探鑿方ゟ今暁七ツ時頃勤番所詰合之家来江注進之趣者、浮浪之徒追々野州乙女并部屋河岸辺ゟ船ニ而関宿江罷下り可申哉之趣聞込候二付為心得通達有之候段勤番之家来ゟ拙者共江も打合有之候間、就而者不容易義ニ付今晩ゟ
写真版4 |
御関所付非常駈付之者共之内両三人ツヽ夜中為相詰川中見張不寝番申付、拙者とも代ル〳〵見廻り取締方厳重ニ仕候心得ニ御坐候、尤此程伺中ニ候得共未御下知無御座候間差懸り候儀二付自分入用ヲ以取計相勤候得共、御案内之通小給之拙者共二付長ク右様相勤候而者難儀仕候間、先達而奉伺候通急速御下知成被下候様仕度奉存候、右之段申上度如斯御座候、以上
写真版5 |
子六月七日 足立柔兵衛
冨田潤三
加藤摝兵
嶌田耕平
渡辺幸之助殿
小菅十一郎殿
松澤俊助殿
山口市郎次殿
〆
右之通届書差出、当河岸船稼之者両三人ツヽ茶船番小屋江不審番人ヲ付、川中夜中見張居候処申渡し、高張挑灯壱張先差遣、蝋燭御入用ニ相立不申共燈籠相用候事
〔訳文〕
子六月七日
一午後六時頃房川渡中田御関所の支配御役所へ全員で評議の上、左の通り御用状を差し出した。
急ぎ時間指定して御手紙差し上げます。
さて、浮浪の徒は五月晦日大平山を引き払い、同夜栃木町泊、六月朔日小山宿に泊まり、筑波山へ立ち退くと聞いていましたが、急に引き返して、四日壬生城下近辺の飯塚河岸というところへ大勢押し寄せ、鳥居丹波守へ申し入れたことには、
(われわれは)この度橫浜で攘夷実行した者だが、人数不足につき御加勢願いたく、もしお引き受け戴けなければ、戦闘に及んででも人員を借り受ける旨申し入れたところ、
丹波守殿は家中の面々が出張加勢するなど決してならぬことは勿論、(あなたがたに)討手を差し向けるべきことでさえある。あなた方は勝手になさればよいと挨拶したということです。
丹波守殿江戸屋敷へ報告に向かう御家来の方からお聞きした処、噂では小山宿へ引き退くのではないかと予想されていましたが、そこから戸田長門守殿領分の下野国栃木町陳屋へ押し寄せ、昨夜同所へ乱入した処、
陳屋では前から準備していた大炮・小銃などで打ち払ったので、徒党の者共は逃げ去りながら町家に数ヶ所火を掛け大凡焼き払い、その夜生駒村という処へ退き、そこから小山宿へ行き、また間々田宿へやって来るのではないかと、
大名・地頭などの飛脚が関所を通り掛かるごとに、次々風聞を耳にしました。
又土井大炊頭殿の探鑿方より、今暁四時頃勤番所詰の家来に報告されたことには、
浮浪の徒が次々下野国乙女や部屋河岸の岸辺から船で関宿へ下るかも知れぬと聞き込みもあり、心しておくよう通達もあったことを、勤番家来より拙者共まで報告もあったので、これは容易ならぬ事態であり、今晩より御関所付きの非常駈付を命じておいた者どもの内二・三人に川の不寝番見張を申し付け、
私たちも代わるがわる見廻って厳重に取り締まる覚悟でございます。
尤も今回まだご指示を戴いていないにもかかわらず、緊急のこと故自分入用で取り計らっています。御存知の通り小給の私たちでありますので、今のまま長く勤める事は難しく、過日御願いした通り、早速(御入用の件)御取計下さいますよう御願い致します。
以上、よろしく御願い致します。
子六月七日 足立柔兵衛
冨田潤三
加藤摝兵
嶌田耕平
渡辺幸之助殿
小菅十一郎殿
松澤俊助殿
山口市郎次殿
〆
右の通届書を差し出しました。当栗橋河岸の船家業の者二・三人づつを茶船番小屋の不審番人として備えさせ、夜中、川の中の見張る地点を申し渡し、高張挑灯一張を先ず遣し、蝋燭は(値段が高く)購求できないので燈籠を用いる事