この日午前10時頃、「浮浪之徒」追討軍の一隊、水戸家市川三左衛門軍227名が通行していった。その後、北条新太郎率いる幕府軍940人が、筑波山方面を目指して通行して行った。
一差出候印鑑左之通り
水戸殿
印鑑
印
目付方
上下
弐百弐拾 七人
印
|
一市川三左衛門通行乗駕致候趣相断左之通り手札差出候
家老
*公辺
市川
三左衛門
御目見
以上
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覚
一鉄砲 五拾挺
一弓 六張
一大炮 三挺
一印竿 壱本
右之通
水戸殿目付方
六月廿一日 佐々木 雲八郎印
〆
右書類差出、尤通方出張御目付方江も談判之上通、右人数通方の節河野大五郎・青木金八郎・嶋田耕平・富田潤三、水戸殿目付方佐々木雲八郎外下役両三人立会相改通、外ニ後れ荷物通方水戸殿家来より御目付江書付を以差出候由ニ而左之通達有之事
覚
一幕 拾對
一*幕串 五拾本 *幕串:幕を張るためのポール
一*渋紙 百枚 *渋紙:柿渋を塗って紙を張り合わせた者。防寒・雨除の衣類、敷物、包装紙。
一*標 壱本 *標:紋所・旗・記章カ
一高張桃灯 弐拾張
右之通致参着候ハゝ御関所御通し可被下候、以上
六月廿一日
〆
右之品改通ス事
一水戸殿家老市川三左衛門始人数野州辺江浮浪取締出張ニ付、旅宿先ゟ江戸表江用向申付差遣候節者、三左衛門印鑑ヲ以相通呉候様同人印鑑佐々木雲八郎入来差出候間、右之段出張御徒目付・御小人目付江申談候処、受取置左之通取計可申旨被申聞候
印 鑑
印
市
川
三
左
衛
門
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右之通り預り置候事
右同日
一今般浮浪追討為御用歩兵頭助北条新太郎殿其外役々とも歩兵組人数九百四拾人、野州辺並筑波山ニ相集右最寄迄相通、名前相分り候方如左之
御目付代り 永見 貞之丞殿
御使番
右同 小出 順之助殿
歩兵頭助 北条 新太郎殿
歩兵差図役頭取 河津 三郎太郎殿
右之外御目見以上之役々有之候得共、名前相分り可申候
一御鉄砲通方北条新太郎殿印紙断書付差図役下役入江豊次郎持参
覚
一ケウエール御筒 六百挺
但短銃其外附属之品々共
一大炮 四挺
但附属之品共
右者此度野州表為御用拙者儀騎兵組・大炮組・御持小筒組・歩兵組とも召連罷越候ニ付、書面之御筒並附属之品とも持越申候、其為仍如件
元治元酉年 歩兵頭助
六月廿一日 北条 新太郎印
房川渡
中田
御関所
〆
一永見殿家来高田三八・小出殿家来大澤源蔵為使者入来、此度御目付代ニ而通行被致候趣断有之、右御両人同勢永見殿人数上下 小出殿人数上下
一 四拾人 一 七拾九人
右通行前断出且又左之書付差出候事
此度野州表為御用拙者共北條新太郎騎兵・歩兵・大炮・御持小筒組并役々とも罷越候、就而者此度之儀者不容易義ニ而*実地ニ向居候事故、軍律之通*冠物等一切取不申候、一同家来末々迄其儘ニ而致通行候、依之此段及御達候、以上
六月廿一日 小出 順之助
永見 貞之丞
中田
御関所
御番中
*実地:身をもって経験する実際の場
*冠物:笠など。
〆
右之通粘入*半切ニ認御達ニ付、当方出役之御徒目付・御小人目付江右御達并前条御武器通し方断書付共持参致申談候処、此度者御徒目付代ニ付御達之通可取計旨及挨拶候間、其外御人数銃隊ニ而役々御目見以上以下共馬乗通行其侭取計御通行之節立会、陸軍附調役中川虎一郎殿出張、御徒目付河野大五郎・御小人目付青木金八郎御関所ゟ両人ツヽ代ル々立会ニ而見届相通、御目付代御両人馬乗ニ而通、立会之者一同往還ニ而*下坐、外当番*下座敷ニ而平伏
永見殿
一長持弐棹 小筒拾五挺
具足拾三領
右之外□間長持壱棹
小出殿
一長持四棹 小筒弐拾五挺
具足五拾領
右武器通し方出張之御目付方江御問合候処矢張家来口上断ニ而可通旨兼而達ニ付、右之通家来夫々断有之事
*支配勘定
一野木 次郎右衛門 上下三人
*御普請役
一石原 磯之助
一近藤 米太郎
上下四人
右者御勘定奉行*竹内下野守殿合印持参断追討御用ニ而通行之事
御取締出役
廣瀬 鐘平
上下拾弐人
石井 鑵之助
上下拾弐人
兵粮焚出し御用掛り
福田所左衛門手附
松澤 俊助
池原 隆吉
北条京次郎手代
林 桂之丞
千坂 芳蔵
兵粮方長持三棹才料断
右いつれも幸手宿出立今夕古河泊り之由、水戸殿人数一同古河泊り二相成候、是迄一宿送り二宿々泊り江戸ゟ五ツ御泊りニ而今日通行之事
*半切:全紙を縦に二つに切ったもの
*下坐:座より下りて平伏すること。地上の平伏を特に土下座という。
*下座敷:一階の座敷。下の座敷。
*支配勘定:勘定組頭の指揮を受け、勘定所所管の事務を処理。支配勘定衆。役高一〇〇俵。(日本国語大辞典)
*御普請役:江戸幕府の職名の一つ。勘定奉行に属し、江戸・関八州、その他の幕府領、および幕府の管轄した河川の灌漑・用水、ならびに道や橋などの土木工事をつかさどったもので、勘定所詰、在方掛、四川用水方の三課に分かれ、元締・元締格・普請役などの役職があった。(日本国語大辞典)
*竹内下野守:竹内保徳(一八〇七~一八六七)。勘定奉行。文久遣欧使節のリーダー。
右同日
一当支配福田所左衛門殿川筋見分川俣かしゟ高瀬船四艘ニ而下り、但附属之近藤石見守殿家来・戸田洗五郎殿家来一同召連中田岸江着、同夜中田本陣泊り二付嶋田外壱人御旅宿御見舞旁、今日追討御人数通し方夫々為念相届候事.