房川渡中田関所に6挺のゲベーレ銃(筒)が備えられることになった。番士4人と見習2人の分だろう。『県令集覧』には、見習として加藤杢兵衛・嶋田起四郎の名がある。たぶん、番士の跡取息子だろう。鉄炮の付属物の合薬と雷粉管は、栗橋近辺では調達出来ず、江戸から取り寄せ。鉛は栗橋宿の「畳屋」が調達してくれる。
〔翻刻文〕
一歩兵屯所印鑑 壱枚
〆
同日
一右御用答差出如左之
一当廿日夜日光表在勤之御小人目付ゟ別紙写之通、宿継御用状ヲ以御目付方家来通方引合印鑑并日光御警衛歩兵方役々荷物通方引合印鑑御達二付請取置候間、右書類写此段御届申候
一当月十六日小川町歩兵屯所役所ゟ日光表江被差遣候荷物通方差支ニ付、宿役人共江申聞差留其段兼而御届申上候処、宿役人共日光表江罷越歩兵方役々江右之趣申立候処、歩兵頭河野伊豫守殿印鑑御目付方ゟ御渡被成候旨ニ而屯所役所添触写相添、昨廿一日七ツ時頃宿役人共右印鑑御関所江差出候間、前条御達印鑑ニ引合候処相違無之ニ付右荷物三十八箇早々相通申候
一先便被仰遣候御備御鉄炮附属鉛玉・合薬并雷粉管御渡方入用取調書別紙ニ相認差上申候、御鉄炮御渡方ニ相成候節者箱入ニ而御差立被成下度、出火・出水等之場合ニ至り持退之節、御鉄炮箱無之候而者附属小道具紛失之程難計候間、右御渡方御取計可被下候
一玉薬箱壱荷是又御渡ニ相成候様御取計可被成候
右之段御請旁如斯御座候、以上
子四月廿二日 足立柔兵衛印
冨田潤三 同
加藤摝兵 同
嶋田耕平 同
渡辺幸之助殿
小菅十一郎殿
松澤俊助殿
山口市郎次殿
一別紙取調書左之通り
御鉄炮附属御備之玉薬并雷粉管共左之通
一御備鉛玉 六百粒
但此目方正味八百四拾目御鉄炮壱挺ニ付玉数百粒ツヽ御備之積、尤ケヘル筒之儀者玉目八匁と有之候得共実丸者壱挺六匁四分位之積也、右棹鉛を以鋳立候ニ者凡壱貫目二付壱割五歩位相減候積ニ而御渡有之候様致し度事
一同合薬 壱貫弐百目
但玉壱放二付合薬弐匁込ニして六百放分之事
一同雷粉管 六百六拾粒
但玉壱放二付管壱粒ツヽ之処火遷り兼候管も有之候二付、拾放二付管壱粒増積之事
〆
御鉄砲毎月壱度ツヽ磨方之節空砲ニ而筒払入用之合薬并雷粉管共左之通り
一合薬壱貫弐拾文目 但壱ヶ年分
此訳
一御筒壱挺ニ付五放ツヽ筒払壱挺合薬弐文目込之積、六挺ニ付壱ヶ月合薬遣払六拾文目ツヽ入用也
一四月ゟ八月迄者温気之節二付、壱ヶ月両度宛筒払磨方不致候而者錆候二付御筒損し可申候間、此五ヶ月者両度ツヽ筒払之積ニ而壱ヶ月分合薬遣払百弐拾文目入用也
一雷粉管五百六拾壱粒但壱ヶ年分
此訳
一御筒壱挺ニ付五放ツヽ筒払、壱放二付管壱粒ツヽ、六挺分壱ヶ月遣払管三拾粒入用也
一四月ゟ八月迄右同断、壱ヶ月両度ツヽ筒払之積ニ而、壱ヶ月分遣払管六拾粒ツヽ入用也
一毎月筒払之節入用之管右訳書之通ニ候得共、火遷り兼候管も有之候二付、拾粒ニ付壱粒ツヽ相増候分管五拾壱粒共右合〆之内江差入候事
〆
右之通凡入用高取調書上候、尤右之内鉛者別紙之通買入之直段書付取之差上候
得共、其外合薬并雷粉管製造人等所々相調候得共、当近辺ニ者無御座候間、右弐
品者御府内ニ而御買上之上御渡方ニ相成候様致し度存候、以上
子四月廿二日 嶋田耕平印
加藤摝兵同
冨田潤三同
足立柔兵衛同
当所写し(※30)
右之通取調差出候事
一小川町屯所御用物通し方返翰者、日光御用先御小人目付ゟ相廻し候印鑑ヲ以相
通、印鑑達方并御用物通方御目付方ゟ御用状到来、書類写支配御役所江差出申し
候、是ハ前ニ有之候間爰ニ略ス
覚
一鉛壱貫目二付
代弐拾三匁也
右之通り 畳屋(※31)
長次郎 仕切判
子四月廿日
上
|
右者御鉄炮御渡方之義二付当方直書取之差出候事
〆
〔訳文〕
一歩兵屯所印鑑 一枚
〆
同日
一支配役所の御用状に対し、御用答を以下の通り差し出した
一今月二十日夜、日光表在勤の御小人目付より別紙写の通、御目付方家来の通行のための判鑑ならびに日光御警衛歩兵方の方々の荷物の通行のための判鑑を宿継御用状で受け取りましたので、その書類の写をお届けいたします。
一今月十六日、小川町歩兵屯所役所より日光表へ届けられる筈の荷物が、関所通行に支障を来したことにつき、宿役人共へ(われわれが)指示して差し留めにしたことはすでに報告致しました。
しかし、宿役人共が日光表へ参り、歩兵方の然るべき方々へその旨を申し立てたところ、歩兵頭河野伊豫守殿の印鑑を御目付方より渡され、屯所役所の添触写を添え、昨日二十一日午後四時頃、宿役人共が該印鑑を御関所へ差し出しました。
そこで前条の御届の印鑑に引き合わせましたところ、問題なかったので該荷物三十八箇を早々にお通しいたしました。
一先便で命じられた御備御鉄炮附属の鉛玉・合薬ならびに雷粉管の引取につき、入用取調書を別紙に認め差し上げます。
御鉄炮送付の際は、箱入に仕立てていただき、出火・出水等で避難の際、御鉄炮箱がなくては附属の小道具を紛失するやも知れないので、そのように御取り計らいください。
一玉薬箱一荷、是も又御届くださるよう御取計い下さい。
以上、種々御承知ください
子四月廿二日 足立柔兵衛印
冨田潤三 同
加藤摝兵 同
嶋田耕平 同
渡辺幸之助殿
小菅十一郎殿
松澤俊助殿
山口市郎次殿
一別紙取調書左の通り
御鉄炮附属御備の玉薬ならびに雷粉管共左の通り
一御備鉛玉 六百粒
但しこの目方は正味八百四十目、御鉄炮一挺につき玉数百粒 づつ準備のつもり、尤もケヘル筒は玉目八匁とされていますが、実丸は一挺六匁四分位のようです。
棹鉛を鋳立てる場合、およそ一貫目につき一割五分くらいは減る計算で御送付いただきたく存じます。
一同合薬 一貫二百目
但し玉一放につき合薬二匁込にして六百放分の事
一同雷粉管 六百六十粒
但し玉一放につき管一粒づつのところ、火が遷っていかない管もありますので、十放につき管一粒増やす見積りで願います
〆
御鉄砲毎月一度づつ磨く際、空砲にて筒払いしますが、入用の合薬ならびに雷粉管は左の通り
一合薬一貫二拾文目 但し一ヶ年分
内訳
一御筒一挺につき五放づつ筒払い、一挺合薬二文目込の見積り、六挺につき一ヶ月合薬遣い払い六十文目づつ入用である
一四月より八月までは暖気の季につき、一ヶ月二度づつ筒払いして磨かないと錆びて筒を損じてしまうので、この五ヶ月間は二度づつ筒払いの見積りであり、一ヶ月分合薬遣い払い分は百二十文目入用です
一雷粉管五百六十一粒、但し一ヶ年分
内訳
一御筒一挺につき五放づつ筒払い、一放につき管一粒づつ、六挺分一ヶ月遣い払い管三十粒入用です
一四月より八月まで同断、一ヶ月二度づつ筒払いの見積り、一ヶ月分遣い払い管六十粒づつ入用です
一毎月筒払いの際、入用の管上記訳書の通りでありますが、火が遷っていかない管もあり、十粒に一粒づつの増量分、管五十一粒を合計の内へ繰り込んでいます
〆
上記の通りおよその入用高を取り調べ書き上げました。
尤も上記の内鉛は別紙の通り買入の値段書付をお届けします。
その外合薬ならびに雷粉管については製造人等あちこち調査しましたが、栗橋近辺には見
当たりませんので、上記二品は江戸で御買上の上、送付していただきたく存じます。以上
子四月廿二日 嶋田耕平印
加藤摝兵同
冨田潤三同
足立柔兵衛同
当所写し
上記の通り取り調べ報告申し上げます
一小川町屯所御用物の通行の件の返書は、日光御用先御小人目付より送達の印鑑で通し、印鑑送達方法ならびに御用物通行について御目付方より御用状が到来しました。
書類写を支配御役所へ差し出し申しあげました。これは以前も書き留めたので略します。
覚
一鉛壱貫目二付
代弐拾三匁也
右之通り 畳屋
長次郎 仕切判
子四月廿日
上
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値段書
上記は御鉄炮備につき当方(関所番士)が直段書を取り御届申し上げたもおです
〆
〔注釈〕
※30「当所写し」:この「当所写し」は、正しくは「右之通取調差出候事」の次の行に置かれるべき文句であろう。
※31「畳屋」:栗橋宿「畳屋」の引札と翻刻を掲載しました。この「畳屋」は、栗橋在住の吉田卓治氏が「金物屋」として戦後も営業なされていたとの事。「畳屋長次郎」は、吉田卓治氏のご先祖であるわけです。その経緯について自ら語っておられる史資料を紹介します。尚、これらの史資料は、本会幹事高塚伊和夫氏が提供されたものです。
諸国めくすり名法薬取次所
∧ 釘鐵銅鍋釜
吉 現金 大安賣
打物農道具
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一料理庖丁・はさみ・小刀・出刃・菜切其外品々元方相改直段
下直ニ差上申候、万一性合あしく候節は御取替さし上
申候、何□不抱多少ニ御用向被仰付可被下候様偏ニ
奉願上候以上 但シ刃切刃こぼれ取替不仕候
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一大工諸職人道具一切取替不仕候
月 日 栗橋上町
畳屋長次郎
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