2016年8月23日火曜日

〔第8回 合薬・雷粉管・鉛玉の調達〕


房川渡中田関所に6挺のゲベーレ銃(筒)が備えられることになった。番士4人と見習2人の分だろう。『県令集覧』には、見習として加藤杢兵衛・嶋田起四郎の名がある。たぶん、番士の跡取息子だろう。鉄炮の付属物の合薬と雷粉管は、栗橋近辺では調達出来ず、江戸から取り寄せ。鉛は栗橋宿の「畳屋」が調達してくれる。


〔翻刻文〕

一歩兵屯所印鑑     壱枚
  〆
同日
一右御用答差出如左之
 一当廿日夜日光表在勤之御小人目付ゟ別紙写之通、宿継御用状ヲ以御目付方家来通方引合印鑑并日光御警衛歩兵方役々荷物通方引合印鑑御達付請取置候間、右書類写此段御届申候
 一当月十六日小川町歩兵屯所役所ゟ日光表被差遣候荷物通方差支付、宿役人共申聞差留其段兼御届申上候処、宿役人共日光表罷越歩兵方役々右之趣申立候処、歩兵頭河野伊豫守殿印鑑御目付方ゟ御渡被成候旨ニ而屯所役所添触写相添、昨廿一日七ツ時頃宿役人共右印鑑御関所差出候間、前条御達印鑑引合候処相違無之付右荷物三十八箇早々相通申候
 一先便被仰遣候御備御鉄炮附属鉛玉・合薬并雷粉管御渡方入用取調書別紙相認差上申候、御鉄炮御渡方相成候節箱入ニ而御差立被成下度、出火・出水等之場合至り持退之節、御鉄炮箱無之候而者附属小道具紛失之程難計候間、右御渡方御取計可被下候
 一玉薬箱壱荷是又御渡相成候様御取計可被成候
右之段御請旁如斯御座候、以上
  子四月廿二日                    足立柔兵衛印
                            冨田潤三 同
                            加藤摝兵 同
                            嶋田耕平 同
    渡辺幸之助殿
    小菅十一郎殿
    松澤俊助殿
    山口市郎次殿
一別紙取調書左之通り
 御鉄炮附属御備之玉薬并雷粉管共左之通
一御備鉛玉    六百粒
 但此目方正味八百四拾目御鉄炮壱挺付玉数百粒ツヽ御備之積、尤ケヘル筒之儀玉目八匁と有之候得共実丸壱挺六匁四分位之積也、右棹鉛を以鋳立候ニ者凡壱貫目二付壱割五歩位相減候積ニ而御渡有之候様致し度事
一同合薬     壱貫弐百目
 但玉壱放付合薬弐匁込して六百放分之事
一同雷粉管    六百六拾粒
 但玉壱放付管壱粒ツヽ之処火遷り兼候管も有之候付、拾放付管壱粒増積之事
 〆
 御鉄砲毎月壱度ツヽ磨方之節空砲ニ而筒払入用之合薬并雷粉管共左之通り
一合薬壱貫弐拾文目 但壱ヶ年分
   此訳
一御筒壱挺付五放ツヽ筒払壱挺合薬弐文目込之積、六挺付壱ヶ月合薬遣払六拾文目ツヽ入用也
一四月ゟ八月迄温気之節付、壱ヶ月両度宛筒払磨方不致候而者錆候付御筒損し可申候間、此五ヶ月両度ツヽ筒払之積ニ而壱ヶ月分合薬遣払百弐拾文目入用也
一雷粉管五百六拾壱粒但壱ヶ年分
     此訳
 一御筒壱挺付五放ツヽ筒払、壱放付管壱粒ツヽ、六挺分壱ヶ月遣払管三拾粒入用也
 一四月ゟ八月迄右同断、壱ヶ月両度ツヽ筒払之積ニ而、壱ヶ月分遣払管六拾粒ツヽ入用也
 一毎月筒払之節入用之管右訳書之通候得共、火遷り兼候管も有之候付、拾粒付壱粒ツヽ相増候分管五拾壱粒共右合〆之内差入候事
 〆
右之通凡入用高取調書上候、尤右之内鉛別紙之通買入之直段書付取之差上候
得共、其外合薬并雷粉管製造人等所々相調候得共、当近辺ニ者無御座候間、右弐
御府内ニ而御買上之上御渡方相成候様致し度存候、以上
  子四月廿二日            嶋田耕平印
                    加藤摝兵同
                    冨田潤三同
                    足立柔兵衛同

    当所写し30)
右之通取調差出候事

一小川町屯所御用物通し方返翰、日光御用先御小人目付ゟ相廻し候印鑑ヲ以相
通、印鑑達方并御用物通方御目付方ゟ御用状到来、書類写支配御役所差出申し
候、是ハ前有之候間爰略ス


       覚
 一鉛壱貫目
    代弐拾三匁也
 右之通り         畳屋31)
               長次郎 仕切判
  子四月廿日
 上

       
 右御鉄炮御渡方之義付当方直書取之差出候事


〔訳文〕

一歩兵屯所印鑑     一枚
  〆

同日
一支配役所の御用状に対し、御用答を以下の通り差し出した
 一今月二十日夜、日光表在勤の御小人目付より別紙写の通、御目付方家来の通行のための判鑑ならびに日光御警衛歩兵方の方々の荷物の通行のための判鑑を宿継御用状で受け取りましたので、その書類の写をお届けいたします。

 一今月十六日、小川町歩兵屯所役所より日光表へ届けられる筈の荷物が、関所通行に支障を来したことにつき、宿役人共へ(われわれが)指示して差し留めにしたことはすでに報告致しました。

 しかし、宿役人共が日光表へ参り、歩兵方の然るべき方々へその旨を申し立てたところ、歩兵頭河野伊豫守殿の印鑑を御目付方より渡され、屯所役所の添触写を添え、昨日二十一日午後四時頃、宿役人共が該印鑑を御関所へ差し出しました。

 そこで前条の御届の印鑑に引き合わせましたところ、問題なかったので該荷物三十八箇を早々にお通しいたしました。

 一先便で命じられた御備御鉄炮附属の鉛玉・合薬ならびに雷粉管の引取につき、入用取調書を別紙に認め差し上げます。
 御鉄炮送付の際は、箱入に仕立てていただき、出火・出水等で避難の際、御鉄炮箱がなくては附属の小道具を紛失するやも知れないので、そのように御取り計らいください。

 一玉薬箱一荷、是も又御届くださるよう御取計い下さい。

 以上、種々御承知ください
  子四月廿二日                    足立柔兵衛印
                            冨田潤三 同
                            加藤摝兵 同
                            嶋田耕平 同
    渡辺幸之助殿
    小菅十一郎殿
    松澤俊助殿
    山口市郎次殿

一別紙取調書左の通り
   御鉄炮附属御備の玉薬ならびに雷粉管共左の通り
一御備鉛玉    六百粒
 但しこの目方は正味八百四十目、御鉄炮一挺につき玉数百粒 づつ準備のつもり、尤もケヘル筒は玉目八匁とされていますが、実丸は一挺六匁四分位のようです。
   棹鉛を鋳立てる場合、およそ一貫目につき一割五分くらいは減る計算で御送付いただきたく存じます。
一同合薬     一貫二百目
 但し玉一放につき合薬二匁込にして六百放分の事
一同雷粉管    六百六十粒
 但し玉一放につき管一粒づつのところ、火が(うつ)っていかない管もありますので、十放につき管一粒増やす見積りで願います
 〆
 御鉄砲毎月一度づつ磨く際、空砲にて筒払いしますが、入用の合薬ならびに雷粉管は左の通り
一合薬一貫二拾文目 但し一ヶ年分
   内訳
一御筒一挺につき五放づつ筒払い、一挺合薬二文目込の見積り、六挺につき一ヶ月合薬遣い払い六十文目づつ入用である
一四月より八月までは暖気の季につき、一ヶ月二度づつ筒払いして磨かないと錆びて筒を損じてしまうので、この五ヶ月間は二度づつ筒払いの見積りであり、一ヶ月分合薬遣い払い分は百二十文目入用です
一雷粉管五百六十一粒、但し一ヶ年分
     内訳
 一御筒一挺につき五放づつ筒払い、一放につき管一粒づつ、六挺分一ヶ月遣い払い管三十粒入用です
 一四月より八月まで同断、一ヶ月二度づつ筒払いの見積り、一ヶ月分遣い払い管六十粒づつ入用です
 一毎月筒払いの際、入用の管上記訳書(わけがき)の通りでありますが、火が遷っていかない管もあり、十粒に一粒づつの増量分、管五十一粒を合計の内へ繰り込んでいます
 〆
上記の通りおよその入用高を取り調べ書き上げました。
尤も上記の内鉛は別紙の通り買入の値段書付をお届けします。
その外合薬ならびに雷粉管については製造人等あちこち調査しましたが、栗橋近辺には見
当たりませんので、上記二品は江戸で御買上の上、送付していただきたく存じます。以上
  子四月廿二日            嶋田耕平印
                    加藤摝兵同
                    冨田潤三同
                    足立柔兵衛同

    当所写し
上記の通り取り調べ報告申し上げます

一小川町屯所御用物の通行の件の返書は、日光御用先御小人目付より送達の印鑑で通し、印鑑送達方法ならびに御用物通行について御目付方より御用状が到来しました。
 書類写を支配御役所へ差し出し申しあげました。これは以前も書き留めたので略します。

       覚
 一鉛壱貫目
    代弐拾三匁也
 右之通り         畳屋
               長次郎 仕切判
  子四月廿日
 上

            値段書
上記は御鉄炮備につき当方(関所番士)が直段書を取り御届申し上げたもおです

〔注釈〕
30「当所写し」:この「当所写し」は、正しくは「右之通取調差出候事」の次の行に置かれるべき文句であろう。


31「畳屋」:栗橋宿「畳屋」の引札(ひきふだ)と翻刻を掲載しました。この「畳屋」は、栗橋在住の吉田卓治氏が「金物屋」として戦後も営業なされていたとの事。畳屋長次郎は、吉田卓治氏のご先祖であるわけです。その経緯について自ら語っておられる史資料を紹介します。尚、これらの史資料は、本会幹事高塚伊和夫氏が提供されたものです。



諸国めくすり名法薬取次所
  
 釘鐵銅鍋釜 
        現金  大安賣
   打物農道具

一料理庖丁・はさみ・小刀・出刃・菜切其外品々元方相改直段
下直ニ差上申候、万一性合あしく候節は御取替さし上
申候、何□不抱多少ニ御用向被仰付可被下候様偏ニ
奉願上候以上 但シ刃切刃こぼれ取替不仕候
  
一大工諸職人道具一切取替不仕候
    月 日    栗橋上町
            畳屋長次郎


































2016年8月14日日曜日

〔第7回 元治元年四月廿ニ日〕



栗橋宿に差留の荷物………、江戸の代官支配所も動く




〔翻刻文〕

四月廿ニ日
一日光御祭礼奉行堀田摂津守26)殿御用済帰府古河出立ニ而通行鉄炮其外夫々持参之事
右同日
一日光御廿日27)御名代内藤若狭守28)殿御用済帰府通行余文略ス

四月廿二日
一支配御役所※29ゟ御用状到来左之通り
宿継ぎを以致啓上候、然歩兵屯所ゟ添触ヲ以差立候荷物御差留之趣先便御申越付、右次第宿役人ゟ日光在勤之御目付方申出させ差図次第御継立被成候歟、当方ニ而其筋へ申立継立方申進候儀歟、御申越有之候様申進候義之処、御心得方御申越迄ニ而宿役人共ゟ御目付申出候様御申付被成候義歟、右之廉聢と御申越無之難相分候付、自然差向入用之品長々差留置不都合之義等出来候ハ如何付歩兵屯所及打合候処、右野陣等張候節入用之品々ニ而早々不差送候而者差支候旨申聞候間、然ル上早々合印鑑相廻候様可取計旨申談置候処、右印鑑早々可差立旨ニ而今日御目付方ゟ相廻候間差進申候、御落手御差留之荷物宿役人共ゟ日光表申出通方同所在勤之御目付方より達有之継立相成候得宜敷候ヘ共いまた達も無之候ハヽ、右合印鑑へ添触御引合相違も無之候ハヽ、早々通し方御取計可被成候、右之外御用筋印鑑廻し方略ス
右之段可得御意如斯御座候、以上
 子四月廿一日                     山口市郎次印
                            松澤俊助 同
                            小菅十一郎同
                            渡辺幸之助同
             此方四人殿
    入記



〔訳文〕

四月二十ニ日
一日光御祭礼奉行の堀田摂津守殿が御用を済ませ江戸に帰る、古河を出立して(関所)を通行なされた、一行は鉄炮その外持参の事
右同日
一日光大猷院御祥忌法要御名代、内藤若狭守殿が御用を済ませ江戸へ帰る、(関所)を通行なされた、あとは文略す

四月二十二日
一支配御役所より御用状が到来した、左の通り
宿継ぎで御手紙差し上げます。
さて、先の御手紙では、歩兵屯所より添触を添えて発送した荷物を差し留めにしたとのこと、そして宿役人の方からお知らせ申して日光在勤の御目付方の差図をまって継立するのか、あるいはわれわれ代官支配所がその筋(小川屯所)へ申し立てて継立方を(関所番士へ)お知らせするのか、指示していただきたいとの事ですが、御手紙の様に宿役人共より御目付へ申し出て御指示を仰ぐことについては、御手紙でもはっきりとした指示もなく曖昧であります。

差しあたり入用の物資をいつまでも差し留め置き、もしも不都合な事が発生しては問題ですので、歩兵屯所へ打ち合わせに参りましたところ、当該荷物は野陣等を張る際入用の物資であり、早々に送ってやらないと支障があると教えられました。

そこで早々に合印鑑を廻すよう申し上げたところ、今日御目付方より廻す運びとなりました。お受け取り下さい。

宿役人共より日光表へ申し出て在勤の御目付方の御達によって継立できれば宜しいのですが、未だ御達もないのであれば、右の合印鑑へ添触を引き合わせ問題がなければ、早々に通すよう取り計るべきです。

〔右の外の御用筋の印鑑の廻し方については略す。―関所番士島田耕平の書き加え:筆者注〕
右の内容につき、ご了承なさってください、以上
 子四月二十一日                    山口市郎次印
                            松澤俊助 同
                            小菅十一郎同
                            渡辺幸之助同
             こちら四人(我々関所番士)殿
    
           入記



〔注釈〕
26堀田摂津守:堀田 正頌(まさつぐ)天保131113日~明治29511日)。下野国佐野藩主第3代。譜代16千石。佐倉藩堀田家分家8代。従五位下、左京亮、摂津守、信濃守。のち子爵。

27日光御廿日:徳川家光(諡号(しごう)大猷院(たいゆういん)死没慶安4420日=165168日)


28内藤若狭守:内藤頼直(1840-1879)信濃高遠藩8代藩主。従五位下、左京亮、大和守、駿河守、若狭守

29支配御役所:関東に支配所がある代官は、原則もと陳屋持たず、拝領屋敷を改装した江戸役所で執務した。代官の居宅兼宿舎、手付てつき手代てだい住む長屋米蔵土蔵白州しらす牢屋などから構成され、概ね長屋囲まれていた。福田所左衛門は、22名の手付・手代を抱えていた(『県令集覧』)。代官については、『代官の日常生活』(西沢淳男 2004 講談社)に詳しい。





2016年8月7日日曜日

〔第6回 元治元年四月廿一日〕


栗橋の宿役人達の足労もあり、日光表への荷物(指物(さしもの)は、歩兵頭合印鑑と添触により、差し留め解除の運びとなった。



〔翻刻文〕
四月廿一日            水戸殿御分家松平大炊頭(※23)家来 
                       小幡友七郎
                       宇津良左衛門
                       小山五郎右衛門
                        従者弐人
従日光江戸屋敷迄通御同人内三宅右平次合印持参断、尤早駕籠抔((ママ))ニ而参り候由也    

右同日
一此程差留候歩兵組小川町屯所役所添触ニ而日光表差送り候荷物之儀付、宿役人共之内彼地罷出、歩兵掛り并御徒目付・御小人目付衆右差留相成候段相届候処、御目付方ニ者挨拶有之候者、当十五日役々大通行之節後締之義申達置候間、差留候勿論之義有之候間、差懸り候義付合印鑑相廻シ候間左之印鑑相渡候付持参御関所差出右荷物相通候様可申立旨ニ而、印鑑添触写相添当宿問屋良右衞門差出候間一応見請候迄ニ而相返候左之通り

         歩兵頭
   印鑑    河野伊豫守

     
添触写左之通り

  御用添触      小川町屯所

     
     添触
 一御用状 箱一封 (付箋)「此分認メ候得共相除事」
 一琉球包 八箇
 一莚包  三拾箇  
     合三十八箇
 右日光表歩兵組之者出張先可相届候、若於旅中行合候ハヽ、其所をゐて差出へくもの也
      小川町歩兵屯所役所
 四月十五日           千住宿ゟ日光道中問屋年寄中  
右之指物相通候、尤歩兵頭印鑑御関所留置候事

右同日御目付方日光表御用先返翰差出、左之通り
当十八日御差立之御用状昨廿日夜相達致拝見候、然御目付高木宮内殿印鑑壱枚・御目付衆并各方御連名之印鑑壱枚被成御達請取申候、尤江府ゟ御達可被成之処、日光表ゟ差向急御用向相兼、家来旅行之節引合可相通旨被成御達、委細承知いたし候
一日光表御警衛為御用歩兵方役々被差遣候付、右家来并荷物等往復之節歩兵頭河野伊豫守(※24)殿印鑑持参之者引合相違無之候ハヽ、無差支可相通旨是又被成御達承知致し候、依之御同人印鑑被成御渡請取申候

一当十六日小川町歩兵屯所役所添触ヲ以宿継無才領ニ而荷物三拾八箇日光表御用先被遣候付、差掛り栗橋宿役人共御関所申出候得共、通方御達并合印鑑等も無之付難相通旨申達差留候処、其段宿役人共御地罷越御役々及御届候処、歩兵頭河野伊豫守殿合印鑑ヲ以相通候様御目付方ゟ被仰聞候旨ニ而、伊豫守殿印鑑壱枚御渡之由ニ而持参、其上右屯所添触写相添御関所今七ツ時前差出候間、前条御達し印鑑へ引合候処無相違付荷物早々相通申候
右之段御報旁如斯御座候、以上
 四月廿一日                  足立柔兵衛印
                        冨田潤三同
                        加藤摝兵同
                        嶋田耕平同
       吉沢嘉一郎殿
       磯部福之助殿
 〆
右之通相認、栗橋宿ゟ鉢石宿迄送り、同所ゟ御目付方御用先可差出旨江府ニ而出ス(※25)


〔訳文〕
四月廿一日            水戸殿御分家松平大炊頭家来 
                       小幡友七郎
                       宇津良左衛門
                       小山五郎右衛門
                        従者弐人
右は日光より江戸屋敷まで通る御一行の内、三宅右平次という方が合印を持参いたし通行許可を求めてきた。但し早駕籠抔で参るそうである。    

右同日
一歩兵組小川町屯所役所の添触のみにて日光表搬送を期した荷物を今回差し留めた件につき、(栗橋宿の)宿役人が日光表へ参り、歩兵掛・御徒目付・御小人目付衆へ差し留めのことをお伝えしたところ、御目付方のお答えなさることには、今月十五日(栗橋宿の)通行の際、「後締」のことを命令しておいたのだから、差し留めは当然のことだとなされ、緊急のこと故、左の合印鑑を渡すのでこれを使用し御関所へ差し出し、荷物を通してもらうよう(関所番士へ)上申するよう(宿役人達は)指示された。そのように、印鑑へ添触写を添え、(栗橋宿の)問屋良右衞門が差し出したので、一応(見て写して)返した。左の通り


         歩兵頭
   印鑑    河野伊豫守

           (判鑑)

添触写は左の通り

  御用添触      小川町屯所

     
               (封紙)

     添触
 一御用状 箱一封    (付箋)「この分は写したけれども省略」
 一琉球包 八箇
 一莚包  三拾箇  
     合三十八箇
 右の荷物は日光表歩兵組の出張先へ届ける筈のものである。もし途中偶然出くわしたなら、そこで(この荷物を)渡すように
      小川町歩兵屯所役所
 四月十五日           千住宿より日光道中の問屋・年寄中へ  
右の指物を通した。但し歩兵頭印鑑は御関所に留め置いた。

右同日(四月二十一日)御目付方日光表御用先へ返書を差し出した。左の通り
今月十八日発送の御用状が、昨廿日夜届き拝見いたしました。ところで、御目付高木宮内殿印鑑壱枚・御目付衆并各方御連名の印鑑壱枚を受け取りました。但し(本来なら)江戸より届けられるのが筋ではありますが、日光表より急ぎの御用もあり、御家来の旅行の際の(関所)通行の序でに届けていただいたこと、委細承知いたしました。

一日光表警衛御用のため歩兵方の役人が派遣されますが、御家来や荷物等の往復の際、歩兵頭河野伊豫守殿の印鑑(手形)を持参していただき、引き合わせの上間違いなければ支障なく通さなければならない旨、是又ご指示くだされ承知いたしました。河野伊豫守殿の印鑑(判鑑)を渡していただき、確かに受け取りました。

一今月十六日、小川町歩兵屯所役所の添触によって、三十八箇の荷物を日光表御用先へ宰領もなく宿継運搬する件につき、その場に居合わせた栗橋宿役人たちが関所へ申し出て参りましたが、通行通知も合印鑑等もなく通す事ができない旨通達し荷物を差し留めにいたしました。そこで、宿役人たちは貴地へ参ってそのことを皆様へ御知らせしたところ、歩兵頭河野伊豫守殿の合印鑑によって通す様御目付方よりご指示を受け、伊豫守殿印鑑壱枚を渡されて持参したということです。その上、屯所の添触写を添えて、御関所へ今夕四時前差し出して来ましたので、前条の記述にある印鑑(判鑑)に引き合わせたところ間違いないので早々に当該荷物をお通しいたします。
いろいろこのように御報告致します。以上
 四月廿一日                  足立柔兵衛印
                        冨田潤三同
                        加藤摝兵同
                        嶋田耕平同
       吉沢嘉一郎殿
       磯部福之助殿
 〆
右の通認め、栗橋宿より鉢石宿までは(手紙で)送り、同所より御目付方御用先へ差し出してほしい旨、江戸で「出ス」。


〔注釈〕
※23水戸殿御分家松平大炊頭:水戸藩分家の第9代宍戸(ししど)藩主松平頼徳
   頼徳切腹の経緯は、こちら

※24歩兵頭河野伊豫守:河野権右衛門通か、のち歩兵奉行。


※25「右之通相認、栗橋宿ゟ鉢石宿迄送り、同所ゟ御目付方御用先可差出旨江府ニ而出ス」について、筆者は、「江府ニ而出ス」の意味がよく分からない。読者諸氏のご教示を願いたい。