2017年5月21日日曜日

〔第18回 番士加藤摝兵、次男泰四郎の不行跡ゆえ苦渋の決断(1)~勘当したいが~〕


房川渡中田御関所番士加藤摝兵の次男泰四郎(19才)が、普段「気随」で、「不行跡」であるところ、526日何の知らせもなく家を出た。摝兵自身「小給」(安給料)の身であり、息子にも良くしてやれなかった事もあるだろうが、後々の事もあり同役の番士達と相談したところ、勘当にするのがよいという事になり、代官支配所に願書を差し出したのだったが
 今回は、翻刻文の外に、読み下し文と訳文もつけてみました。

〔翻刻文〕

六月五日
一加藤摝兵次男泰四郎出家致居候付、同役相談之上、昨四日当支配福田所左衛門*弐番元〆小菅十一郎日光表御警衛之人数焚出御用出張之処、右人数帰府付、一先十一郎其外共帰府昨夜当駅泊り、旅宿摝兵罷越泰四郎之訳段々内意申述置、今日御用便左之通差出候
以別紙致啓上候、然加藤摝兵次男泰四郎義身持不宣候付、度々異見等差加候得共、不得止事不行跡相募候付、摝兵心底不応無拠此度勘当致し度旨同人申出候間、壱人出府之上右願書差出御沙汰之程可伺之処、当節柄別御取締向厳重付出府難仕、乍去難捨置筋付、今便摝兵願書私共奥書調印之上乍略義差上候間、宜被仰上可被下候様奉希上候、右之段申上度如斯御座候、以上
 ((ママ))六月五日            足立柔兵衛 印
                   冨田潤三  同
                   嶋田耕平  同
渡辺幸之助殿
     小菅十一郎殿
     松沢俊助殿
     山口市郎次殿
     〆

*弐番元〆江戸幕府の職名。代官所属の手付・手代のうち上席のもの。定員一〜二名。代官を補佐し、勧農、納租、帳簿、出納、聴訟、断獄、警察など、一切の事務を総理したもの。(日本国語大辞典)
福田所左衛門支配所の一番元〆は渡辺幸之助(『県令集覧』)


   以書付奉願候
                   加藤泰四郎
                     当子拾九歳
 右私次男泰四郎儀、平日気随ニ而身持不宣種々異見等差加候得共取用不申、無拠勘当仕度奉存候間、何卒願之通御聞済成被下候様、此段奉願候、以上                                          
                                房川渡  中田関所番 
元治元子年六月           加藤摝兵印
    福田所左衛門殿

右摝兵願之通相違無御座候、 依之私共奥書調印仕候、以上
                   房川渡中田御関所番
                      嶋田耕平 印
                      冨田潤三 同
                      足立柔兵衛同
  〆
一加藤摝兵ゟ元〆四人宛ニ而別紙願状差出左之通り
御用便付一筆啓上仕候、迎暑之節御座候処、各様弥御勇猛御奉務被成御座珍重奉存候、然私次男泰四郎義気随ニ而平日身持不宣、種々異見等差加候得共何分取用不申候付、無余儀此度勘当仕度、就而者壱人出府之上願書可差出之処、私義旧臘ゟ疝積相煩只今以全快不仕、殊更此節浮浪之徒野州筋致横行候付、人少之義故何分急速出府仕兼、無拠御用便を以乍略義願書差上候間、格別之御厚意ヲ以御代官様御執成宜被仰上被下度此段願上候、且又願書振等不案内之儀付是又宜敷御差図被成下度奉希候、右之段御内々得其意度如斯御座候、以上
  六月五日          加藤摝兵
       元〆四人様付
  〆
一別紙壱封小菅十一郎方へ同人ゟ差出如左
  御用便を以啓上仕候、迎署之節隆御安栄被成御厭珍重奉存候、然昨夜御旅宿へ罷出、悴泰四郎義内々申上候通、帰宅之上同役共申談候処、勘当伺之方可然哉之旨一同被申聞候間、任其意願書差上候間、猶宜御執成被仰上被下度、且又不案内之儀付伺書振其外共何卒御差図被成下度、此段偏奉希上候、右之段御内々得其意度、如斯御座候、以上
   六月五日         加藤摝兵
     小菅十一郎様
  〆 


〔読み下し文〕

六月五日
一加藤摝兵次男泰四郎出家致し居りそうろうにつき、同役相談の上、昨四日当支配福田所左衛門弐番元〆小菅十一郎、日光表御警衛の人数焚き出し御用出張のところ、右人数帰府につき、ひとまず十一郎その外共帰府、昨夜当駅泊り、旅宿摝兵罷り越し泰四郎の訳段々内意申し述べ置き、今日御用便左の通り差し出しそうろう
別紙を以て啓上致しそうろう、然れば加藤摝兵次男泰四郎義身持宣しからずそうろうにつき、度々異見等差し加えそうらえども、止む事をえず不行跡あい募りそうろうにつき、摝兵心底に応ぜず拠なくこの度勘当致したき旨同人申し出でそうろうあいだ、壱人出府の上、右願書差し出しお沙汰の程伺うべきのところ、当節柄別してお取締向き厳重につき出府仕りがたし、さりながら捨て置きがたき筋につき、今便摝兵願書へ私共奥書調印の上略義ながら差し上げそうろうあいだ、よろしく仰せ上げられ下さるべくそうろう様希い上げたてまつりそうろう、右の段申し上げたく斯のごとく御座候、以上
 ((ママ))六月五日            足立柔兵衛 印
                   冨田潤三  同
                   嶋田耕平  同
渡辺幸之助殿
      小菅十一郎殿
      松沢俊助殿
      山口市郎次殿
      〆

   書付を以て願い奉りそうろう
                   加藤泰四郎
                    当子拾九歳
 右は私次男泰四郎儀、平日気随にて身持宣しからず種々異見等差し加えそうらえども取り用い申さず、拠なく勘当仕りたく存じたてまつりそうろうあいだ、何卒願の通御聞き済みなしくだされそうろう様、この段願い奉りそうろう、以上              房川渡中田関所番
    元治元子年六月           加藤摝兵印
     福田所左衛門殿
 右摝兵願の通相違御座なくそうろう、
 これにより私共奥書調印仕りそうろう候、以上
                   房川渡中田御関所番
                      嶋田耕平印
                      冨田潤三同
                      足立柔兵衛同
  〆
一加藤摝兵より元〆四人宛に別紙願状を左の通り差し出しました。
 御手紙差し上げます、迎暑の節御座そうろうところ、各様弥御勇猛御奉務御座成され珍重に存じたてまつりそうろう、然れば私次男泰四郎義気随にて平日身持宣しからず、種々異見等差し加えそうらえども何分取り用い申さずそうろうにつき、余儀なくこの度勘当仕りたく、就ては壱人出府の上願書差し出すべきのところ、私義は旧臘より疝積相煩い只今以って全快仕らず、殊更この節浮浪の徒野州筋横行いたしそうろうにつき、人少の義ゆえ何分急速出府仕りかね、拠なく御用便をもって略義ながら願書差し上げそうろうあいだ、格別の御厚意を以て御代官様へ御執り成し宜しく仰せ上げられ下されたくこの段願い上げ候、且又願書振り等不案内の儀につき是又宜しく御差図成し下されたく希いたてまつりそうろう、右の段御内々その意を得たく斯のごとく御座そうろう、以上
  六月五日               加藤摝兵
       元〆四人様付
  〆
一別紙壱封小菅十一郎方へ同人より差し出し左のごとし
 御用便を以って啓上仕りそうろう、迎署の節隆と御安栄御厭り成され珍重に存じたてまつりそうろう、然れば昨夜御旅宿へ罷り出で、悴泰四郎義内々申し上げそうろう通帰宅の上、同役共へ申し談じそうろう処、勘当伺の方然るべきやの旨、一同申し聞かされそうろう間、その意に任せ願書差し上げそうろう間、猶よろしく御取りなし仰せ上げられ下されたく、且又不案内の儀に付伺い書振りその外共何卒御指図なしくだされたく、この段偏に希上げ奉りそうろう、右の段御内々その意を得たく斯くの如く御座そうろう、以上
   六月五日            加藤摝兵
     小菅十一郎様
  〆

〔訳文〕

六月五日
一加藤摝兵の次男泰四郎が出家していることについて、同役に相談の上、昨日四日、栗橋関所支配福田所左衛門二番元〆の小菅十一郎殿が、当駅にお泊りなされたので摝兵が旅宿に参り、泰四郎の件についていろいろと思うところを申し述べ、今日御用便を左の通り差し出しました。小菅殿は、日光表警衛の人々の焚き出し御用のため出張のところ、江府帰参の途中、栗橋に宿泊されたのでした。

別紙を以て御手紙差し上げます。
さて、加藤摝兵次男泰四郎の件ですが、素行よろしからず、度々忠告しても改善がなく、不行跡がいっそうひどくなっております。

摝兵の心配にも応えず致し方なくこの度勘当したき旨、摝兵が申し出ていますので、(我々の内)一人が出府の上、右願書を差し出しご指示を伺うべきところですが、

世は騒然としており、特に(御関所の)取締向きも厳重にしなければならないことでもあり、出府できかねております。

しかしながら(この件は)捨て置きがたき事柄でありますので、摝兵願書に私共が奥書・調印の上、略義ながら御手紙を差し上げますので、よろしく(福田所左衛門様へ)言上下さいますよう切にお願い申し上げます。
右のことを申し上げたく、御手紙差し上げました、以上
 ((ママ))六月五日            足立柔兵衛 印
                   冨田潤三 同
                   嶋田耕平 同

  渡辺幸之助殿
     小菅十一郎殿
     松沢俊助殿
     山口市郎次殿
     〆

 書付でお願い申し上げます
                   加藤泰四郎
                    当子拾九歳
 右の者私次男泰四郎は、平素気ままに暮らし、素行も宜しくありません。いろいろ忠告などしても言う事をきかず、仕方なく勘当にしたく存じておりますので、何とぞ願の通り承知下さいます様、お願い申し上げます、以上   
                       房川渡中田関所番
   元治元子年六月               加藤摝兵印   
                 
   福田所左衛門殿

 右摝兵願の通り間違いございません、私共が奥書・調印しております、以上
                   房川渡中田御関所番
                     嶋田耕平印
                     冨田潤三同
                     足立柔兵衛同

一加藤摝兵より元締め四人宛てに、別紙願書を左の通り差し出しました。
 御手紙差し上げます。
  迎暑の節皆様いよいよ勇猛に御奉務なされ御祝申し上げます。
  さて私次男泰四郎は、気ままで平素素行も宣しからず、いろいろ忠告してもどうして も言う事をきかず、仕方なくこの度勘当にしたく、ついては私たち番士の内一人出府の上願書を差し出すべきところ、

 私自身は去年十二月より疝積を煩い、今もって全快せず、特にこの節は浮浪の徒が野州筋を横行していることもあり、人手不足ゆえどうしてもすぐには出府できかね、仕方なく略義ながら御手紙で願書を差し上げますので、特別の厚意をもって御代官様へ宜しく御執り成しを言上申し上げていただきたく御願い申し上げます。

 それに又願の書き方なども不案内でありますので、これもまた宜しくご指導いただきたく切にお願い申し上げます。以上の事について内々に御了解をいただきたく御願い申し上げます。以上
  六月五日          加藤摝兵
       元〆四人様付
  〆
一別紙の一封は小菅十一郎方へ摝兵より差し出したものです。
御手紙差し上げます。
迎署の節、いよいよ御安栄を大切になされお喜び申し上げます。
さて昨夜御旅宿へ参じ、悴泰四郎のこと、内々申し上げました通り、帰宅して同役にお話しましたところ、勘当するのがよろしいと一致し、願書を差し上げました。
よろしくお執り成し下さいますよう代官様へ申し上げて下さい。
また、勝手が分からないものですから、伺書の書き方などご指導いただきたく切にお願い申し上げます。右のことに付内々ご了承いただきたく存じます。
  六月五日         加藤摝兵
     小菅十一郎様


  〆 









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