内容を紹介します。
①元治元年天狗党騒動下、栗橋関所の通行査検の様子。②元禄七年後半期の弘前藩版「御仕置裁許帳」③在方支配の懸案事項について、弘前藩郡方による「格帳」④本州最北の津軽西浜地域と現つがる市新田地帯の地方証文の読解から、土地請け戻し慣行と年季売りや質入れなどの土地移動の実態を読み解く。⑤埼玉県加須市琴寄の天保期うちこわし
①は栗橋関所番士たちの御用留の翻刻・訳・註です。元治元年4月19日から5月21日迄の番士留書。関所周辺の間道の厳重取締、関所に鉄炮を備える件、日光方面の幕府軍の人員と荷物の関所通し方の件、水戸家家来と称する浪士たちの取扱、いずれも合印・判鑑・添触という従来の査検方法の厳守によって対応しようとする番士たち。しかし緊急時に応じた臨機の対応を要請されもする番士たち。番士↔代官支配所の手付・手代↔代官↔勘定所↔勘定奉行↔老中、番士↔目付方において、伺書↔御用答・御達書・御附紙などのやりとりを丁寧に粘り強く執り行う番士たちの職業的実意を読みとることができます。
②越前新保から外ヶ浜に入った小商売の者が、債務不履行の村人たちを訴えたが、逆に籠舎、荷打船の浦手形発行、念仏小屋の破壊命令、親不孝者が親の訴えで領外追放、古切支丹類族の出生届、合船(造船)に関わる上納金や金子調達事情、庚申塚・行人塚新規建築の禁止、生類憐れみ禁令、水呑から高無百姓へ呼称変更、元禄八年上方廻米目録、狄(津軽アイヌ)による膃肭臍差上、座当等火縄材上納、他
③宝暦九年~文政十二年までの在方支配に関して、弘前藩郡方において決定された諸きまり。賞罰、出火、変死者、行旅取扱、刑罰、海損、救米、熊膽値段、初米、高岡参詣・革秀寺参詣・遠慮縁坐(連坐)の及ぶ縁類の範囲と日数。とくに、行旅取扱に関する事項は、詳細かつ貴重なもの。
④は江戸中期、本州最北の津軽領の西浜(現深浦町追良瀬)や新田地帯(現つがる市森田下相野)の地方証文を詳細に解読した。そこから分かったことは、土地請け戻し慣行が津軽領の農民たちにおいても、生きていたこと。それが土地売買や質地取引に大きな影響を与えていたこと。上記地域は何れも土地生産性が著しく低く、津軽地方で「田増米」と称される作得米は、究めて小さかったこと。農民たちは藩への上納や自家生計のため借銭米を繰り返していたこと。しかし、有力農民においては土地売買・質入れが思いの外活発であり、土地の耕作権や用益処分権たる土地所有権が、利をもとめて頻繁に移動していたこと、などがわかった。生産力が低く、作徳の小さい地域でも、農民や商人も加わり、土地移動は頻繁であったのである。また、この地域の高利息もまた目立った現象である。
④は、現加須市琴寄の天保期の打ちこわし。今回は粘り強い古文書の読みから、打ちこわしを企画・推進した中心的存在や野次馬的に参加した人々を、その役割と参加意志の強弱等を基軸に打ちこわし勢組織の模式化を試みた。それはまた、当時、参加人員の出身の村々が抱えていた問題とも深く関連した分析視角をも必要とする。さらに、打ちこわし勢の員数も通説よりかなり少ないと推定。
0 件のコメント:
コメントを投稿