2024年5月13日月曜日

 読者の皆様へ

現在、ブログは休止中です。

月2回の解読会の実施とその準備、また会誌『紀要 久喜古文書研究会』の発行準備、さらに

会員各自の調査・研究活動もあり、なかなか手が回っておりません。ご了承ください。

なお、ブログの記事は、改訂版が『紀要 久喜古文書研究会』(創刊号・2号・3号・4号)に

掲載され、「amazon co.jp」から購入できます。

解読会の見学、入会をお考えの方は、お気軽に、以下にご連絡ください。

 346-0016 久喜市久喜東1-15-24

    久喜古文書研究会(「弘前藩仕置集を作る会」を含む)

        事務局・代表 舘山誠

              090-8808-2830(舘山誠)

              makototateyamaz@gmail.com



     

 

2023年4月27日木曜日

 

『紀要 第3号』を刊行しました。ぜひご覧ください。

     https://amzn.asia/d/0p5oXo7


2022年6月3日金曜日

 



 『紀要 第2号 2022』

※amazon発行 1300円

内容を紹介します。

①元治元年天狗党騒動下、栗橋関所の通行査検の様子。②元禄七年後半期の弘前藩版「御仕置裁許帳」③在方支配の懸案事項について、弘前藩郡方による「格帳」④本州最北の津軽西浜地域と現つがる市新田地帯の地方証文の読解から、土地請け戻し慣行と年季売りや質入れなどの土地移動の実態を読み解く。⑤埼玉県加須市琴寄の天保期うちこわし

 

①は栗橋関所番士たちの御用留の翻刻・訳・註です。元治元年4月19日から5月21日迄の番士留書。関所周辺の間道の厳重取締、関所に鉄炮を備える件、日光方面の幕府軍の人員と荷物の関所通し方の件、水戸家家来と称する浪士たちの取扱、いずれも合印・判鑑・添触という従来の査検方法の厳守によって対応しようとする番士たち。しかし緊急時に応じた臨機の対応を要請されもする番士たち。番士↔代官支配所の手付・手代↔代官↔勘定所↔勘定奉行↔老中、番士↔目付方において、伺書↔御用答・御達書・御附紙などのやりとりを丁寧に粘り強く執り行う番士たちの職業的実意を読みとることができます。
②越前新保から外ヶ浜に入った小商売の者が、債務不履行の村人たちを訴えたが、逆に籠舎、荷打船の浦手形発行、念仏小屋の破壊命令、親不孝者が親の訴えで領外追放、古切支丹類族の出生届、合船(造船)に関わる上納金や金子調達事情、庚申塚・行人塚新規建築の禁止、生類憐れみ禁令、水呑から高無百姓へ呼称変更、元禄八年上方廻米目録、狄(津軽アイヌ)による膃肭臍差上、座当等火縄材上納、他

③宝暦九年~文政十二年までの在方支配に関して、弘前藩郡方において決定された諸きまり。賞罰、出火、変死者、行旅取扱、刑罰、海損、救米、熊膽値段、初米、高岡参詣・革秀寺参詣・遠慮縁坐(連坐)の及ぶ縁類の範囲と日数。とくに、行旅取扱に関する事項は、詳細かつ貴重なもの。

④は江戸中期、本州最北の津軽領の西浜(現深浦町追良瀬)や新田地帯(現つがる市森田下相野)の地方証文を詳細に解読した。そこから分かったことは、土地請け戻し慣行が津軽領の農民たちにおいても、生きていたこと。それが土地売買や質地取引に大きな影響を与えていたこと。上記地域は何れも土地生産性が著しく低く、津軽地方で「田増米」と称される作得米は、究めて小さかったこと。農民たちは藩への上納や自家生計のため借銭米を繰り返していたこと。しかし、有力農民においては土地売買・質入れが思いの外活発であり、土地の耕作権や用益処分権たる土地所有権が、利をもとめて頻繁に移動していたこと、などがわかった。生産力が低く、作徳の小さい地域でも、農民や商人も加わり、土地移動は頻繁であったのである。また、この地域の高利息もまた目立った現象である。

④は、現加須市琴寄の天保期の打ちこわし。今回は粘り強い古文書の読みから、打ちこわしを企画・推進した中心的存在や野次馬的に参加した人々を、その役割と参加意志の強弱等を基軸に打ちこわし勢組織の模式化を試みた。それはまた、当時、参加人員の出身の村々が抱えていた問題とも深く関連した分析視角をも必要とする。さらに、打ちこわし勢の員数も通説よりかなり少ないと推定。

2021年5月4日火曜日

久喜古文書研究会・弘前藩仕置集を作る会が、『紀要』を刊行しました。

 



   ※amazon pod出版

内容を紹介します。

①栗橋関所番士留書による天狗党騒動のリアルな記述。

②栗橋~伊勢、尾鷲・新宮の難コースの伊勢・参宮記。

③元禄期弘前藩版御仕置裁許帳

④埼玉県加須市琴寄の天保期うちこわし。

⑤津軽アイヌの「おたらべこたん」の比定地の追究。

⑥本州最北の津軽西浜の地方証文から「人間抵当」の実態。

①は栗橋関所番士たちの御用留の翻刻・訳・註です。元治元年4月の8日間、天狗党関連の水戸藩・幕府軍ほか緊急事態下の関所通行の査検をどうするか。登場人物は 田丸稲之右衞門・斎藤佐次右衛門・美濃部又五郎・山国兵部外。
②は久喜市中里の旧家の伊勢参宮記。大変詳細な旅の記録です。しかも、伊勢から尾鷲・新鹿・新宮・那智・本宮の難コースをとり、大阪・奈良・琵琶湖・京都・中山寺と、約50日間の強行軍記です。
③は元禄7年前半分の弘前藩版御仕置裁許帳です。酒狂・相対死・寄鯨・捨子・生類憐れみ関連・遊女追放・牢死・アイヌ関連・今別石・切支丹出家・縁坐などいろいろ。
④は、現加須市琴寄の天保期の打ちこわし。粘り強くかつ丁寧な古文書の読みが、従来の通説を覆す見事な例。頭取砂原村安蔵は在所で獄門(ただし牢死)、誰が付けたか「暗光信士」という。輪中地帯の排水路を巡る利害関係者たちの深刻な対立を図式化する。
⑤は、弘前藩庁日記の解読から生まれた小論文。津軽藩の「犾」=アイヌの人たちの生業、狩猟に関わる記事から、「おたらべこたん」の比定地を追究する。
⑥は江戸期、本州最北の新田地帯やその周辺の農民たちの土地借用証文や抵当証文を解読。中小農民や地主の証文から、激しい土地移動による地主-小作関係の出来と庶民の暮らしの不安定を写実的に観察する。深浦町追良瀬、つがる市下相野とその周辺の証文。



2019年10月6日日曜日

会員募集

会員募集

久喜古文書研究会は、以下の通り、新規会員の皆様を募集中です。
歴史研究者の方、学生さん、お勤めの方、大歓迎です。
もちろん現在の我々の様なretireされた方、それぞれのモチベーションをもって、
御参加いただいてよろしいです。

古文書を読むことは、あなたの世界観を変えます。
神社、仏閣も結構。また信長などビッグネームのものを読むのも結構。好事趣味も結構。
しかし、わたしたちは、「庶人」の日常性、「庶人」の生死の現場に拘っています。
「庶人」の何気ない、あるいは意図した行為が、国家・社会の権力や権威と切り結ぶ時の、ノイズを聞き分け、そのノイズとノイズの場を分析・総合することによって、歴史的具体物の鮮やかな再現と歴史におけるシステマティックなものを捉まえることを目指しています。
ただし、ここは「大学」でも、「研究所」でもありません。また、講師や先生も御願いしておりません。単に、古文書に興味・関心を持たれた方々の「広場」だと思っていただければよろしいわけです。

あなたの世の中にたいする評価基準が変わります。
それは、やってみてはじめてわかることです。
古文書読解活動の目的は、単なる「理解」の地平とは別の、ある種他者との出会いや未知への旅に似た危険や充実を潜在的に求めることにあるのではないかと思われます。現在の自己が別の自己として蘇生する様な、不思議な経験に出会えたら、それは人生の最高の宝物となるでしょうし、生まれてきた意味に出会うことができるかもしれません。
さらに、知らず知らず、世界の歴史を根底で動かしているDRIVEに触れることになるかもしれません。
この会はそういう読み方を心がけています。
現在、読んでいる史料を紹介します。
(1)毎月第一月曜日13:00~15:00 於栗橋公民館 会員14名
   島田家文書 栗橋関所番士の筆写したもの 元治元年蛤御門の変の風説書

   小林家文書 琴寄村うちこわし(天保7年)の「一件双方申口扣」

(2)毎月第四土曜日13:00~17:00 於久喜中央公民館あるいは久喜東公民館
  「弘前藩御仕置集」(弘前藩刑政史)を作成のため、弘前藩国日記を読み進めていま す。現在、元禄7年分を読解中。会員15名

 興味のある方、幹事の舘山までご一報下さい。
      makototateyamaz@gmail.com
        090-8808-2830


2018年10月1日月曜日

〔第34回 元治元(1864)年六月二十一日の栗橋関所通行状況〕



この日午前10時頃、「浮浪之徒」追討軍の一隊、水戸家市川三左衛門軍227名が通行していった。その後、北条新太郎率いる幕府軍940人が、筑波山方面を目指して通行して行った。



一差出候印鑑左之通り

 水戸殿
   印鑑

    


 目付方

上下
 弐百弐拾    七人

  

 









一市川三左衛門通行乗駕致候趣相断左之通り手札差出候
 家老

*公辺

市川
 三左衛門


御目見
 以上  

             
 
 *公辺:公儀・将軍家・幕府。








     
    覚
一鉄砲  五拾挺 
一弓   六張
一大炮  三挺
一印竿  壱本 
右之通
       水戸殿目付方
  六月廿一日  佐々木 雲八郎印
  〆
右書類差出、尤通方出張御目付方も談判之上通、右人数通方の節河野大五郎・青木金八郎・嶋田耕平・富田潤三、水戸殿目付方佐々木雲八郎外下役両三人立会相改通、外後れ荷物通方水戸殿家来より御目付書付を以差出候由ニ而左之通達有之事

     覚
一幕    拾對
一*幕串   五拾本        幕串(まくぐし):幕を張るためのポール
一*渋紙   百枚         渋紙(しぶがみ):柿渋を塗って紙を張り合わせた者。防寒・雨除の衣類、敷物、包装紙。
一*標    壱本         (しるし):紋所・旗・記章カ
一高張桃灯 弐拾張
右之通致参着候ハゝ御関所御通し可被下候、以上
六月廿一日
 〆
右之品改通ス事

一水戸殿家老市川三左衛門始人数野州辺浮浪取締出張付、旅宿先ゟ江戸表用向申付差遣候節、三左衛門印鑑ヲ以相通呉候様同人印鑑佐々木雲八郎入来差出候間、右之段出張御徒目付・御小人目付申談候処、受取置左之通取計可申旨被申聞候
 
 印 鑑 
 
 

 


右之通り預り置候事







右同日
一今般浮浪追討為御用歩兵頭助北条新太郎殿其外役々とも歩兵組人数九百四拾人、野州辺並筑波山相集右最寄迄相通、名前相分り候方如左之
御目付代り   永見 貞之丞殿
御使番     
右同      小出 順之助殿
歩兵頭助    北条 新太郎殿
歩兵差図役頭取 河津 三郎太郎殿
右之外御目見以上之役々有之候得共、名前相分り可申候
一御鉄砲通方北条新太郎殿印紙断書付差図役下役入江豊次郎持参
     覚
  一ケウエール御筒 六百挺
      但短銃其外附属之品々共
 一大炮      四挺
    但附属之品共
此度野州表為御用拙者儀騎兵組・大炮組・御持小筒組・歩兵組とも召連罷越候付、書面之御筒並附属之品とも持越申候、其為仍如件
  元治元((子))年  歩兵頭助
   六月廿一日   北条 新太郎
     房川渡
中田
御関所
 〆
一永見殿家来高田三八・小出殿家来大澤源蔵為使者入来、此度御目付代ニ而通行被致候趣断有之、右御両人同勢永見殿人数上下   小出殿人数上下
          一 四拾人     一 七拾九人
右通行前断出且又左之書付差出候事
此度野州表為御用拙者共北條新太郎騎兵・歩兵・大炮・御持小筒組并役々とも罷越候、就而者此度之儀不容易義ニ而*実地向居候事故、軍律之通*冠物等一切取不申候、一同家来末々迄其儘ニ而致通行候、依之此段及御達候、以上
    六月廿一日    小出 順之助
             永見 貞之丞
      中田
御関所
御番中
実地(じっち):身をもって経験する実際の場
冠物(かぶりもの):笠など。
  〆
右之通粘入*半切認御達付、当方出役之御徒目付・御小人目付右御達并前条御武器通し方断書付共持参致申談候処、此度御徒目付代付御達之通可取計旨及挨拶候間、其外御人数銃隊ニ而役々御目見以上以下共馬乗通行其侭取計御通行之節立会、陸軍附調役中川虎一郎殿出張、御徒目付河野大五郎・御小人目付青木金八郎御関所ゟ両人ツヽ代ル々立会ニ而見届相通、御目付代御両人馬乗ニ而通、立会之者一同往還ニ而*下坐、外当番*下座敷ニ而平伏
 永見殿 
  一長持弐棹  小筒拾五挺
         具足拾三領
   右之外間長持壱棹
 小出殿
  一長持四棹  小筒弐拾五挺
         具足五拾領
右武器通し方出張之御目付方御問合候処矢張家来口上断ニ而可通旨兼付、右之通家来夫々断有之事
  *支配勘定
   一野木 次郎右衛門 上下三人
  *御普請役
   一石原 磯之助
   一近藤 米太郎
       上下四人
御勘定奉行*竹内下野守殿合印持参断追討御用ニ而通行之事
   御取締出役
        廣瀬 鐘平
          上下拾弐人
        石井 鑵之助
          上下拾弐人
   兵粮焚出し御用掛り
        福田所左衛門手附
          松澤 俊助
          池原 隆吉
   北条京次郎手代
          林 桂之丞
          千坂 芳蔵
   兵粮方長持三棹才料断
右いつれも幸手宿出立今夕古河泊り之由、水戸殿人数一同古河泊り相成候、是迄一宿送り宿々泊り江戸ゟ五ツ御泊りニ而今日通行之事

半切(はんせつ):全紙を縦に二つに切ったもの
*下坐:座より下りて平伏すること。地上の平伏を特に土下座という。
下座敷(したざしき):一階の座敷。下の座敷。
*支配勘定:勘定組頭の指揮を受け、勘定所所管の事務を処理。支配勘定衆。役高一〇〇俵。(日本国語大辞典)
*御普請役:江戸幕府の職名の一つ。勘定奉行に属し、江戸・関八州、その他の幕府領、および幕府の管轄した河川の灌漑・用水、ならびに道や橋などの土木工事をつかさどったもので、勘定所詰、在方掛、四川用水方の三課に分かれ、元締・元締格・普請役などの役職があった。(日本国語大辞典)
*竹内下野守:竹内保徳(たけのうちやすのり)(一八〇七~一八六七)。勘定奉行。文久遣欧使節のリーダー。

右同日
一当支配福田所左衛門殿川筋見分川俣かしゟ高瀬船四艘ニ而下り、但附属之近藤石見守殿家来・戸田洗五郎殿家来一同召連中田岸着、同夜中田本陣泊り付嶋田外壱人御旅宿御見舞旁、今日追討御人数通し方夫々為念相届候事.




2018年9月3日月曜日

〔第33回 市川三左衛門軍総勢227名 全氏名〕



房川渡中田御関所を通行した市川三左衛門軍227名の全氏名が記録されていますの

で、ご紹介します。

 

  
一山口市郎次殿外御両人中田宿御用先ゟ御用状壱封御遣付、則差上候間御落手可被成候
   〆
 右之外御留守居衆之受書其外略之
   〆

〇山口市郎次殿外から受け取るようにと御用状あり。また、御留守居衆への請書は省略。

同日
一加藤摝兵当所出張之御目付方へ□□河野大五郎ゟ談有之候、御関所出入通行面々不残名前書、出立処・行先等迄其日限〆帳相認メ差出候様談付、右之通通行之面々子細承り糺相記し差出候様可致、且又不時御関所幷*土井家勤番所も見廻り、其上*中田駅援兵詰所迄見廻り候間、其段土井家も申出置可申候由被申聞候事

*土井家勤番所:「浮浪之徒」一件のために臨時的に置かれた。「御徒目付河野大五郎・御小人目付壱人附添見廻り御別条無之哉尋、勤番所同断相尋候事」の記述から、関所に近接して設置されていたのではないか。

*中田駅援兵詰所:臨時的に置かれたのであろうが、詳細不明。

〇御徒目付河野大五郎から以下のような指示があった。すなわち、関所の通行人は残らず名前・出発地・行先などを日限〆帳に記して当方へ差し出すこと、また関所や土井家勤番所、中田の援兵詰所を当方で臨機に見廻る事もあるので、そのことを土井家へあらかじめお知らせ願いたい事。

一右付今日ゟ日〆帳取調、尤一同早朝ゟ夕刻迄相詰候事

〇今日から日〆帳を準備して、全員が早朝ゟ夕刻まで勤務した。

一御徒目付河野大五郎・御小人目付壱人附添見廻り御別条無之哉尋、勤番所同断相尋候  事 

〇御徒目付河野大五郎が御小人目付一人を帯同して見廻り、勤番所へも変わった事はないかと尋ねていた。

一今晩ゟ当川岸幷*中新井村川岸辺迄之処、是ゟ毎夜代ル々取締見廻り、今晩加藤杢兵衛見廻り候事

*中新井村:現在の加須市北下新井・琴寄・砂原・新川通・中渡あたりか。この辺りには、作場渡の新川渡(川辺側では前谷渡と呼称)があった。

〇今晩より栗橋河岸から中新井村の河岸辺りまで、毎夜交代で取締のため見廻る事になった。今晩は、加藤杢兵衛が見廻る。

六月廿日
一御徒目付河野大五郎・御小人目付青木金八郎*五ケ村辺為見廻罷越候趣断有之、茶船ニ而罷越候事

*五ケ村:現在の茨城県猿島郡五霞村
〇御徒目付河野大五郎と御小人目付青木金八郎が、五霞村辺りの見廻りのため茶船で出かけたと連絡があった。

右同日      歩兵差図役下役
             星野正之輔
        右同   湯澤兼太郎
              家来壱人
従日光*幸手宿陸軍方旅宿迄相通候事

*幸手宿陸軍方旅宿:「浮浪之徒」の鎮圧軍(陸軍)が、幸手宿に宿泊していた事が分かるが、詳細は不明。

右同日夜五ツ時
一嶋田耕平御目付方旅宿罷出、此度水戸殿家老市川三左衛門始人数弐百三拾三人余、明廿一日通行之趣、尤兼其筋ゟ御達有之候得共、通行之砌取計方御問合申候段申述候処、  いつれ明朝通行之砌立会候様被申聞候事

〇明日二十一日、市川三左衛門率いる二百三十三人の軍が関所を通行する旨、また此事については予て上司から指示されていると目付方に申し上げたところ、目付方も明朝、立ち会うと聞かされた。
 
同廿一日
一四ツ時、水戸殿家老市川三左衛門始メ人数并武器、昨夜栗橋宿泊り、今日野州辺浮浪為追討通行、当十七日御達有之候分、目付方佐々木雲八郎入来、夫々問合有之、其上通行之名前人数書并目付方合印鑑共差出候間引合名前如左之

〇午前十時、水戸殿家老市川三左衛門一隊と武器が関所を通行した。一隊は、昨夜栗橋宿に泊り、今日野州辺の浮浪之徒の追討に向かう。これについては、すでに今月十七日に上から御達しがあった。目付方の佐々木雲八郎が断に来て、通行手続きについて問い合わせがあり、名前人数書と目付方合印鑑を差し出したので、引き合わせ確認して通行させた。名前は以下に記す。

          覚

   市川三左衛門
      家来
       高倉 就亮
       福田 要蔵
       遠藤政五郎
       関 辰之介
       伊藤吉三郎
       府井扇左衛門
       打越左一郎
          友吉
          亀吉
   市川三左衛門附属□談役
       大内鉞三郎
     目付
       大井翰三郎
        家来
        寺門 介三
        石川源次衛門
            忠介
            九助
    同
        鈴木八右衛門
         家来 兵七
    同
        野村喜左衛門
      家来 長衛門
  目付
        加藤孫三郎
         家来 助衛門
    〃   
        渡井鉄之助
         家来 庄吉
    〃
        佐々木雲八郎
         家来 新之助
            弥介
    目付下役
        清水弥一郎
        石井 宋吉
        天野源三郎
        中川 弥介
        市毛子之吉
         小遣之者
           岩七
           増五郎
   使番
        渡辺伊左衛門
         家来 政五郎
            仙五郎
            九八
            久兵衛  
            十兵衛
   医師
        前嶋 淳徳
        藤田 鳳介
   先手同心頭
        冨田 理介
        田所謙次郎
        田山 金平
        小泉五三郎
        長山 徳十
        飯塚宗之介
        井坂 謙蔵
        大津 兵蔵
        寺門儀三郎
        河野貞三郎
        石川理三郎
        田口豊次郎
        高田十三郎
        平澤泉五郎
        鈴木 健蔵
        梅澤金十郎
        久米寅八郎
        永沼 清七
        大森小次郎
        安倉和十郎
        安 新右衛門
        檜山 源介
        木村庄次郎
      玉箱持
          弥兵衛
          由兵衛
           右家来 新介
            久介
               伊兵衛
               太吉
   先手同心頭
        芦澤 祐七郎
     同心
        若山 藤兵衛
        天野 庄司衛門
        荻浪 松之助
        藤田 東亮
        吉田 和三郎
        氏井 雄次郎
        岩間 詮吉
        加藤 清蔵
        滝口 太三郎
        鈴木 斧三郎
        綿引 清十郎
        遠藤 平左衛門
        徳田 金次郎
        関根 勘蔵
        内田 祐之介
        安田 祐介
        森 竹次郎
        打越 久次郎
        郡司 周蔵
        大曽根 熊吉
         中根 清三郎
         右家来
           新 七
           竹 次
           千之介
           政三郎
       玉箱持
           儀兵衛
           源兵衛
           源次郎
     諸生*指引    *「指引」:指図・差配をする人
        萩 勇太郎
        額田 彦三郎
        大岩 伴次郎
         家来
           金三郎
        生熊 徳之介
         家来
           熊之介
        大留 理八郎
         家来
           乙吉
     寄合諸生
        宮田 常之介
        宮田 金蔵
         家来
           金太郎
        相澤 秀五郎
        磯野 理三郎
        佐々 八次郎
        小田部 壮三郎
        大関 □蔵
       宮田 銀五郎
        疋田 伝八郎
        佐藤 万衛門
        城所 友次郎
        塙 冨太郎
        高山 金四郎
        大門 午之介
        渡辺 吉之介
        藤田 直之介
        樫原 鉄蔵
        岡見 留吉
        岩澤 定次郎
        額田 永三郎
        佐野 雄次郎
        三谷 安次郎
        笠井 福太郎
        岡部 龍之進
        佐々 八三郎
        鈴木 四郎太夫
        斉藤 四方之介
        檜山 七蔵
        小野瀬 惣助
        生井 岸次郎
        小泉 彦十郎
       白須 繁次郎
        大森 金三郎
        館野 鉄次郎
        金子 久三郎
        佐々 末吉
        安松 七五郎
        鈴木 栄次郎
        大橋 金太郎
         家来
           三代吉
        松井 秀蔵
        高田 秀次郎
        伊岸 徳介
        鈴木 任蔵
        小泉 彦八郎
        鈴木 庸之介
        小田部 巳之吉
        関 八太郎
        宇田川 銀平
        堺野 吉次郎
        酒井 捨彦
        山本 悌三郎
        清水 陸一郎
        高久 彦三郎
        片山 丑三郎
          福田 律三
        橋詰 辰三
        白須 準太郎
        樫村 銀次郎
        飯嶋 魚之介
        斉藤 捨松
        堀口 庄二郎
        大久保 貞蔵
        弓削 辰次郎
        橋詰 酉蔵
        鈴木 運之介
        斉田 金三郎
        細谷 万吉
        蔭山 千次郎
        中川 仁一郎
        庄司 善次郎
        小室 金一郎
        浅羽 亀之介
        宮田銀五郎家来
             要 介
    大砲諸生
        高山 為之介
        岡本 勇四郎
        坂田 三八
        松村 米次郎
        近藤 介太郎
        寺門 冨五郎
        石川 金之介
        大宮 金之介
        安松 万次郎
        礒野 長兵衛
        村上 銀四郎
        代田 留吉
      *車夫指引  *「車夫指引」:梶棒を牽く車夫のほかに綱をつけて牽く人カ。
甚吉
           七五郎
           与 吉
           兼 吉
           松五郎
           藤三郎
           勝 吉
           佐 吉
           作兵衛
           又 吉
           友 吉
           平 介
           弥 介
           伊之吉
           勝次郎
           留 蔵
     *小荷駄掛り  *小荷駄(こにだ):兵粮。馬に負わせる荷物。
        三谷 政弥太
         下役
          飯村 庄蔵
          立原 佐之介
          長山 八十八
            鈴木 孫太友
          川崎 弦次郎
          石川 漣蔵
          岡本 捨八
        *小間遣   *小間遣(こまつかい):雑用下役。雑用女中。召使。 
             政吉
        *荒子  *荒子(あらしこ):下級の雑兵。土工・大工・台所使用人・下作人
           留五郎
           三五郎
           米三郎
           作次郎
           卯之吉
           辰五郎
   以上
 〆弐百廿七人