古河宿で、歩兵差図役下役の歩兵人足が互いの主の悪口を言ったのであろうか、喧嘩刃傷沙汰となり、10日程治療の後、歩兵組付医者の責任と付添で、船路で江戸へ連れ戻されることに。さて、「看病人」四人の記述が、理解しかねるのだが…
〔翻刻文〕
同日
一先達而日光為御警衛歩兵并役々登山之砌り古河宿止宿之節、歩兵人足宿ニ間違之義有之疵受候者此度快方ニ成古河宿ゟ江戸表江船ニ而差戻候趣、差添歩兵方御医師中村謙造歩兵頭河野伊豫守殿合印人数書持参差出断出候二付、手負人之義二付右謙造より左之書付取之船中ニ而見届通ス
一札之事
歩兵 善右衞門
疵負人 長松
〆
看病人 清四郎
要四郎
彦兵衛
久右衞門
右者日光為御警衛御登山之砌当十五日古河旅宿ニおゐて聊之義申募疵受為療治是迄逗留罷在候処、追々快方二付同所ゟ船ニ而江戸表迄拙者指添引取申候、房川渡中田御関所無相違御通シ可被下候、依之此段以書付御断申候、以上
元治元子年四月廿六日 中村謙蔵印
房川渡中田御関所
右善右衞門胸壱ヶ所腕左右ニ壱ヶ所ツヽ疵等有之三ヶ所、長松と申者ハ取留人ニ而咽ニ壱ヶ所疵受委細者歩兵差図役木村平作・梅澤平八郎組ニ而互ニ差図役之秘判をいたし夫ゟ刀ヲ以切合候由承り候事
四月廿六日 水戸殿御家来 関口啓蔵
右者野州栃木宿ゟ江戸へ通合印差出断内蜜御用ニ而通行抔と申事
同廿七日 御同人家来 ニ良山良吉
右従江戸小石川野州栃木町迄通例之合印差出断、尤役名承り候処郷士之由栃木町宿所迄書面持参早駕籠ニ而罷越候趣也
同日 御同人家来 所兵蔵
従江戸野州栃木迄通合印差出断
四月廿九日 水戸殿内徒役 西村三平
右者従野州栃木江戸へ通目付方合印差出断出候事
同日 御同人家来 関口啓蔵
従江戸野州栃木迄通例之目付方合印差出断出候間、同人此程出府ニ付子細承り候処調方ニ而猶又罷越候趣申聞候事
五月朔日 御同人家来 沼田順次郎
小林平之進
従江戸野州栃木迄通例之合印持参断出候事
同日 大炮御馬乗役 川口源次
楠木盛之助
右者江戸ゟ日光表江通歩兵頭河野伊豫守殿印鑑銘々持参断出候事
〔訳文〕
同日(4月26日)
一過日、歩兵と役職の方々が日光警衛に向かわれ古河宿泊の節、歩兵人足宿で喧嘩負傷した者があり、この度治って古河宿より江戸表へ※(3)船で差し戻すということ、責任を以連れ参るのは歩兵方御医師中村謙造殿、歩兵頭河野伊豫守殿の合印・人数書を持参、差し出し、通行許可を求めてきましたので、手負人ということもあり、右謙造殿より書付を受け取り、船中にて見届け、通した
一札之事
歩兵 善右衞門
疵負人 長松
〆
看病人 清四郎
要四郎
彦兵衛
久右衞門
右の者は日光警衛のため日光への旅の途中、今月十五日古河旅宿において些細なことで言い争いになり負傷、療治のため古河に逗留しておりましたが、段々よくなってきたので、船で江戸表まで、拙者が預かって附き添っております。房川渡中田御関所を間違いなくお通し下さい、このように書付を以って許可を御願いします、以上
元治元子年四月廿六日 中村謙蔵印
房川渡中田御関所
善右衞門は、胸壱ヶ所・腕左右に一ヶ所づつ、併せて疵等三ヶ所、長松と申す者は、喧嘩を引き留めた者で、咽に一ヶ所疵を受けている。事情は歩兵差図役の木村平作組と梅澤平八郎組の者が互いに差図役を非難したため、刀で切り合ったということです
四月廿六日 水戸殿御家来 関口啓蔵
右は野州栃木宿より江戸へ通る合印を差し出し通行許可と求めてきたが、内密御用で通行などと話しておられた
同廿七日 御同人家来 ※(1)ニ良山良吉
右は江戸小石川より野州栃木町まで通る例の合印を差し出し通行許可を求めてきた、尤も役名を承ったところ郷士ということ、栃木町宿所まで書面を早駕籠で届けに赴くつもりとのこと
同日 御同人家来 所兵蔵
江戸より野州栃木まで通る合印を差し出し通行許可を求めてきた
四月廿九日 水戸殿内徒役 西村三平
右は野州栃木より江戸へ通る目付方合印を差し出し通行許可を求めてきた
同日 御同人家来 関口啓蔵
江戸より野州栃木まで通る例の目付方合印を差し出し許可を求めてきたので、同人は先日出府(4月26日江戸へ向かう)したばかりなので、事情をお伺いしたところ、※(2)調方という役職でまた栃木方面へ赴くとお聞かせ戴いた
五月朔日 御同人家来 沼田順次郎
小林平之進
江戸より野州栃木まえ通る例の合印を持参、通行許可を求めてきた
〔注釈〕
※(1)「二良山良吉」:かなり怪しい名前です。「二良山」は、「ふたらさん」と読めます。それは、「二荒山」(ふたらさん→にこうさん)で日光山ということになります。「良吉」も、大吉・中吉・そして良吉ですから、冗談っぽいんです。自らを「郷士」といっています。幕末期、多くの草莽志士たちが、いくつもの冗談ぽい名を名告っていました。
※(2)「調方」:いろいろな役職に使用されています。ここではどうなのでしょう。『万買物調方』(元禄5)という書物があります。しかし、この関口啓蔵は日を置かず、栃木と江戸を行き来していますので、情勢の見聞・調査の見分役という程の意味ではないかと思う。
※(3)古河から江戸への船路
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