破けにくい和紙の強靱。水に流そうにも溶けない墨滴。-冴えないレトリックだが、今回は、番士たちの正路にして実意の精神に通じる場面を再び垣間見た思いがした。
※今回から、訳文は省いて、大意と解説を加えるということにします。
同日 大炮御馬乗役 川口源次
楠木盛之助
右者江戸ゟ日光表江通歩兵頭河野伊豫守殿印鑑銘々持参断出候事
五月二日 水戸殿内 石川熊武
外ニ家来弐人
野州栃木ゟ江戸へ通例之目付方合印持参断、植替之刀壱本持鑓壱本為断通行之事
※石川熊武については、第5回注参照。
「持鑓」は、然るべき侍の外出の折、家来や小者に持たせた短い鑓のこと。
右同日
一日光山為御警衛歩兵組・大炮組・御持小筒組并役々江附属之御道具御長持拾弐棹・分持壱荷、従江戸小川町屯所日光表在勤歩兵頭河野伊豫守殿旅宿迄差送候由、一昨廿九日夜先触到来二付、兼而問屋共ゟ差出候間合印引相違も無之無才料ニ者候得共夫々見届相通
先触写左之通り
覚
一御用状 弐通
一長持 拾弐棹
内九棹 歩兵方
弐棹 大炮方
壱棹 御持小筒方
一分持 壱荷
此人足六拾三人
右者日光山為御警衛歩兵組・大炮組・御持小筒組役々とも被差遣候二付、右附属之御道具類明廿九日朝六ツ時江戸持出、千住宿ヲ向差立候条、渡船双方宿々申合、道中無遅滞継送於日光山光蔵坊歩兵頭河野伊豫守旅宿江可差出もの也
四月廿八日 小川町 屯所印
大炮同
御持小筒組当番所印
千住宿関門
中田御関所
右両所共此印鑑ニ引合相通候様可取計候
日光道中千住宿ゟ日光山迄
右宿々問屋年寄中
〆
※江戸小川町屯所より日光在勤の河野伊豫守殿旅宿まで、警衛隊の道具類等を荷物の責任者もなしに届けてほしいという先触が関所に届いたが、同じ先触は栗橋宿役人(問屋・年寄等)からもすでに差し出されており、合印確認の上荷物を見届け通行させた。
先触によれば、荷物は29日朝6時頃小川町を出発し、千住宿を目ざす。渡船については、両岸の宿でよく相談して取り計らってほしい。また、道中遲滞なきよう各宿の問屋・年寄は心がけてほしいとある。
因みに、この荷物を運ぶ63人の人足は、各宿で用意しなければならないが、各宿駅間約2里として、人足63人の役割・配置は、どのようだったか?
また、「分持」の具体像が浮かばないのであるが、ご教示願いたい。
もう一つ、「千住関門」は、どこにあったのか、またその査証は如何?
一右先触ニ而取計相通、支配御役所へ御用状差出如左之
以宿継致啓上候、然者今度小川町歩兵屯所ゟ日光表江被差送候長持拾弐棹并分持壱荷、別紙写之通添触ヲ以宿継無才料ニ而差越候段、栗橋宿役人共申立候間、右添触披見之処向々連印之内屯所印鑑ハ先達而御達ニ有之候間引合候処無相違、尤在理之品柄不分明ニ候得共、差向候御用之品々及差支候而者如何と相心得、右印鑑ニ引合無差支通方取計仕候、尤先便御達之砌以来共右様之品々且者御武器
類等被差送候節、引合可相通との御達ニも無御座候得共、差掛候義ニ付此度之長持類品柄之不分明ニ不抱右印鑑江引合相通申候得共、右者御武器ニも有之候而者是迄御武器通方規則ニ相触候間、歩兵方江右品柄御打合被下、万一御武器類ニ有之候ハヽ在府歩兵頭之証文被差送候様いたし度奉存候、既ニ先達而河野伊豫守殿役々附添歩兵召連通行被致候節、銘々持参之御鉄炮ニ而も伊豫守殿ゟ証文被差出候義ニ御座候、尤前々ゟ御武器類通方仕来ハ都而御留守居衆之御断ニ御坐候処、去亥年三月中諸家武器類通方御達以来者、御武器通方も右ニ准し非常御警衛向きニ旁御差立之分ハ出入共其御役筋ニ而証文被差出候得者、無差支通方取計仕候義ニ御座候間、今般被差立候長持之儀御武器類ニ無御座候得者證文ニも及ひ不申、乍併已後何様之品々被差立候哉、其節差支候而者如何と奉存候間、以来宿継ニ而送り候荷物有之候得者、在中之品柄相分候様いたし度、此段歩兵方江御達被下次便ニ否御報被仰聞可被下候
右之段申上度如此御座候、以上
子五月二日 足立柔兵衛
冨田潤三
加藤摝兵
嶋田耕平
渡辺幸之助殿
小菅十一郎殿
松澤俊助殿
山口市郎次殿
入記
※栗橋関所番士たちは、前述の荷物は、何と言っても中味が不明であり、通行許可を聊かためらったのだが、緊急の御用の品物であったら大変だと思い、屯所印鑑の引合・確認だけで通行許可した。
ただ、そのように処置せよという御達しがあったわけではない。今回の措置は緊急という一点で執った行動である。
もし荷物が武器類であるなら、以前はすべて御留守居衆の許可が必要であったが、亥年(文久3年)3月の「諸家武器類通方御達」以来、非常御警衛用の荷物は管轄当局の証文で済むことになった。
この度の長持の件も、武器類でなければ証文さえ必要ないということであるが、やはり宿継荷物の中味が分からないと、番士の仕事がやりにくいこともあり、そのことを歩兵方へ伝えて、次便で諾否をお聞かせ願いたいと支配所の上司に頼んだのである。
職務の全うのためには、上からの指示・規則に任せるだけではよしとせず、さらに現場の仕事の徹底のために策を尽くすのである。こういう気質・精神が、日本全国津々浦々において涵養され、それはまた時代を横断して培養されてきたのだと思う。筆者は、これを「実意のエートス」と呼んでみたい。
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