鉄炮と附属の品々、また竿鉛・焔硝・管の必要量が見積られ、関所に供与された。玉の「鋳減」分としての「竿鉛」や「筒払10度」分の「合焔硝」、「不発分」の「管」も見積られている。
〔翻刻文〕
六月八日
一御鉄炮御渡二付請書差出如左之御鉄炮御差立方御用状拝見いたし候、然者当御関所御備御鉄炮六挺其外附属之御道具共此度御渡ニ相成候二付、横田弥兵衛差添御差立被成候、別紙御目録之通無相違請取申候、尤玉薬箱之儀者追而御渡被下候段御下ヶ札之趣委細承知仕候
一右御鉄炮御預証文壱通并御請目録書弐通差上申候間御落手可被下候
一立花出雲守殿家来印鑑壱枚先便被成御廻受取申候
右之段為御請如斯御座候、以上
元〆四人殿
入記
一御請書 三通
一御鉄炮御差立先触壱通
一御鉄炮御預証文御案書壱冊返上
〆
〔訳文〕
六月八日
一鉄炮の供与につき請書を左のように差し出す
鉄炮の発送につき御用状拝見しました。さて、こちらの御関所に御備の鉄炮六挺その他附属の道具、横田弥兵衛殿が附き添われ、この度拝受致しました。別紙目録の通、間違いなく請け取りました。尤も玉薬箱は近いうちに渡して戴けるという下ヶ札の趣、委細承知いたしました。
一右の鉄炮御預証文一通と御請目録書二通、差し上げますのでお受け取り下さい。
一*立花出雲守殿家来の印鑑一枚、先便でこちらへ送付なされ、受け取りまし た。
右の件承知いたしました。
元〆四人殿
入記
一御請書三通
一御鉄炮御差立先触壱通
一御鉄炮御預証文御案書壱冊返上
〆
*立花出雲守:立花種恭、陸奥国伊達郡下手渡村(福島県伊達郡月館町)に陣屋をおいた藩。藩主は立花氏。外様。一万石。文化三年(一八〇六)立花氏の筑後国三池よりの転封によって成立。
〔翻刻文〕
覚
一ケヘル筒 六挺
一胴乱負革共 六ツ
一𠝏袋管入真鍮セヽリ鎖付 六組
一三ツ股玉取共 六組
一万力 弐挺
一鋳形鋳鍋共 壱組
一右御筒入長持壱棹 (下ヶ札)
但御紋付油単共 「御書面玉薬箱之義者追而
一両掛玉薬箱 壱荷 御渡之趣承知仕候」
但御紋付雨覆共
六月十一日御渡ニ相成申也
一御筒懸 壱居
一替火門 六ツ
〆
右之通被成御渡請取申候、以上
子六月 房川渡中田御関所番
足立柔兵衛印
冨田潤三同
加藤摝兵同
嶌田耕平同
渡辺幸之助殿
小菅十一郎殿
松澤俊助殿
山口市郎次殿
〆
覚
一竿鉛五貫四拾目 但 鋳減之分見込玉数六百玉分
一合焔硝壱貫八百目
内 壱貫弐百目 但 御備合薬六百発分
六百目 但 筒払合薬当六月ゟ十二月迄拾度分
一管九百九拾粒
内 六百六拾粒 但 御備管不発分見込六百発分
三百三拾粒 但 筒払不発分見込六月ゟ十二月迄拾度分
〆
右之通被成御渡請取申候、以上
子六月 *―
――
〇
当方四人印
元〆四人殿
〆
*洒落た判じ物です。「棒・線・輪足す」で「房川渡し」か?
〔翻刻文〕
一ケヘル御鉄炮 六挺
但 小道具共
右者当御関所之儀先前ゟ御関所附御鉄炮無之処、追々非常御備筋等被 仰出候御時節二付、今般御伺之上書面之御筒六挺附属之小道具共私共江被成御渡慥ニ奉預候、然ル上者御筒者勿論小道具ニ至迄大切ニ取扱、損所等出来候節者、早速其段申立御差図次第修復差加、都而不取 締之儀無之様可仕候、為後日御鉄炮預証文仍如件締之儀無之様可仕候、為後日御鉄炮預証文仍如件
房川渡中田御関所番
元治元子年六月 足立柔兵衛印
冨田潤三 同
加藤摝兵 同
嶋田耕平 同
福田所左衛門殿
〆
御鉄炮預証文
|
上
紙
*上紙(うわがみ)…包紙のこと
〆
〔訳文〕
一ケヘル御鉄炮 六挺
但 小道具共
当御関所には以前から御関所附御鉄炮がなかったのですが、だんだん非常御備の必要も云々される時節柄でもあり、今般御願いした通り御筒六挺と附属の小道具を私共へ供与いただき、慥かに預かりました。この上は御筒は勿論、小道具に至るまで大切に取り扱い、破損等しました時は、すぐにそのことを申し立て、御差図に従って修復いたし、管理に落度なきよう致します。後日のためこのように鉄炮預かり証文を記しました。
房川渡中田御関所番
元治元子年六月 足立柔兵衛印
冨田潤三 同
加藤摝兵 同
嶋田耕平 同
福田所左衛門殿
〆
御鉄炮預証文
|
上
紙
〆
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