新年明けましておめでとうございます。
先日、研究会の忘年会がありました。話が弾み、皆さん、お酒が大好きで、しかもお強い。御銚子がごろごろ横倒れしていました。歴史を愛する者、又酒を愛す!ということでしょうか。殊に「歴女」の方々、その飲みっぷりが見事でありました。
というわけで、研究会は今年も、いよいよ盛んに活動して参ります。
今回は、水戸家関連人物の往来を関所番士の記録から紹介します。
五月九日
水戸殿徒目付 小野崎藤兵衛
同目付下役 樅村定之丞
右両人江戸ゟ野州栃木辺迄通候由、例之目付方合印差出断事
同十日 水戸殿目付方 沼田順次郎
江戸ゟ野州栃木江通合印ヲ以断、*鑓壱本宿人足ニ為持通事
*「鑓壱本宿人足ニ為持」:武家は自分の奉公人に鑓を持たせて他出するのが普通ですが、水戸殿目付方の沼田順次郎は、宿々で人足を雇って鑓を持たせていた、ということか。
同十一日 水戸殿徒頭立原朴ニ郎家来
玄木鳳一郎
江戸ゟ栃木迄通例之合印ニ而断事
同十二日 水戸殿御家来 立原朴ニ郎
上下五人
真田範之助
虵口安太郎
高橋渡人
佐藤方次
中村松太郎
右者宇都宮出立ニ而帰府之由、目付方合印朴ニ郎家来古賀米次郎断出、尤朴二郎徒頭ニ而*公儀御目見以上之趣手札差出、馬上ニ而通行之事
*水戸殿家来の立原朴ニ郎は、徳川将軍から見れば陪臣であるが、「公儀御目見」の格の高い侍のようだ。公儀御目見の陪臣は、御三家や大家の家老クラスあるいは古くから徳川家との特別な関わりのある家柄に見られる。「手札」(現在の名刺)を差出、馬上通行した。ところで、房川渡中田(栗橋)関所は船渡しの関所であるから、朴二郎は渡船、馬は馬船で渡河したということか。あるいは馬船に馬と共に朴二郎ら上下五人が乗り込んだのか?
五月十三日 水戸殿徒頭附属
大幡外記
同人家来
原 勇
右者栃木ゟ江戸へ通合印差出断
水戸殿目付役之由
杉浦辰蔵
右同下役
武田儀三郎
江戸ゟ野州辺迄相通目付方合印差出候事
同日 御同人内
大貫信蔵
従宇都宮江戸迄合印同断差出候事
同十五日 水戸殿馬廻り之由
林五郎三郎
*上下拾三人
*林五郎三郎は水戸藩主馬廻(親衛隊)、しかも共連れ十三人はかなりの大身侍である。
右者江戸小石川ゟ野州栃木迄罷越候由、目付方合印ニ人数書入差出、尤清水大八と申者断出候事
五月九日から十五日の間、水戸家関連の通行人をまとめてみると、以下のようになる。
(1)江戸から栃木方面へ 4組5人
(2)栃木から江戸へ 1組2人
(3)宇都宮から江戸へ 7組23人
五月十六日
一大炮方長持壱棹無才料ニ而江戸ゟ日光表江継送来候旨、添触ヲ以宿役人届出候、尤夏服入之趣書加へ有之、且ハ別ニ大炮方合印鑑添来候間相通候
添触左之通り
覚
一長持壱棹
右者日光表為御警衛被差遣候大炮組之者共夏服入長持書面之通明十五日江戸表差立候間、日光街道無遅滞継送川々渡船共是又差支無之様可取計候、右荷物於日光山桜上坊大炮組之頭御手洗幹一郎旅宿へ可相届もの也
子五月十四日 大炮方印
日光街道
千住宿ゟ
鉢石宿迄
宿之問屋中
日光警衛中の幕府大炮方兵員の夏服入長持1竿を、宰領なしで日光桜上坊まで宿継で運びます。幕府御用ですから、勿論無賃です。
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