2017年12月1日金曜日

〔第24回 栗橋船戸町の者たち、非常呼集される!〕


はじめにお知らせ

『栗橋関所の番士でござる ~島田家文書を紐解く~』

 久喜市立郷土資料館で展示会が催されています。
 12月24日(日)までとなっております。
 以下、ポスターと内部写真をご紹介します。




文机

房川渡中田関所(栗橋関所)西側から


元治元年69日・10日・11日、大平山を引き払った「浮浪之徒」は、野州・常州方面に横行する。北関東の大名・旗本・幕府領代官は、兵員・武器の準備のため、房川渡中田関所を繁く往来する。


六月九日
一支配御役所ゟ御用状到来
急宿継を以致啓上候、然昨七日附急御用状今八時相達致披見、浮浪之徒大平山引払後所々横行いたし、右付御関所附非常駈付之者両三人夜中為相詰川中見張不寝番御申付貴様方も御掛廻り取締方御取計之御心得付、先便御申越有之候御入用之儀急速御沙汰有之候様可取計、右付巨細御申越之趣承知いたし候

八時:午後2時頃
貴様:あなたがた(関所番士達)

〇「浮浪之徒」が大平山を引き払い、各所に横行している。関所では臨時の不寝番を置き、川の中の見張りもさせるようこちらから申し付けましたが、あなたがたの負担も併せて、先便において要請がありました非常警備の費用(「御入用」)について、直ぐに上司の指示が下りる様にいたします。
      
一先便御差越有之候御関所最寄作場船差留方之義、他領之分ハ夫々於当方領主可及掛合候得共、前条御申越之趣も有之、差向候義時宜次第其表ニ而御取計可被成候                      

作場船:田畑耕作等のための地元の船。
差向:当面すること・差しあたり・とりあえず
時宜:時期・機会、物事の状況・状態・条件
 
〇作場船の差し留めの件に付、周辺の領主(古河土井・関宿久世・館林秋元・一ツ橋諒知・多くの旗本達)へは江戸代官所より掛け合う。また、費用のことについては、非常亊のことだから状況次第にあなた方関所番士達が臨機に対応してほしい。

一川陸改方付御申越之趣承知申上候処、右前条申越之趣も有之、急場之義付いつれも御入用相立候様可被仰立間、御見廻り等之儀共無御手抜様御取計可被成旨被仰聞候間、左様御承知可被成候
右之段可得御意如斯御座候、以上
子六月八日              山口市郎次
                   松澤俊助
                   小菅十一郎
                   渡辺幸之助
        嶋田耕平殿
        加藤摝兵殿
        冨田潤三殿
        足立柔兵衛殿

〇川と陸の警備についてあなた方(関所番士達)から申出がありましたが、費用について、川も陸も必ず出してもらうようにしますから、手抜かりのないよう実行するよう上から指示されましたので、御承知下さい。

 〆
一右之通御用状到来付兼七日夜ゟ不寝番申付為勤候処、右茶船番・馬船番并当川岸船持其外船稼之者共先前ゟ非常駈付之者呼出不寝番勤方申渡、御関所ゟ夜中見廻り候間急度可相勤事

栗橋宿渡場は船渡である。茶船・馬船が料金を取って人・馬・荷物を渡してい
た。

〇栗橋宿の渡場渡世の者、河岸の船持商人、その他船稼ぎの者たちを非常呼集し、不寝番も勤めるよう申渡し、関所番士が夜中監視しているから緩みなく勤めるよう命じた。

一浮浪横行之次第付、野州・上州・常州奥筋其外共諸家并交代寄合、在所又陳屋等人数・武器持運并飛脚等往来致し候事繁々有之候得共、是等相記不申候事

常州奥筋:今の茨城県北部、常陸大宮や大子方面のことをいう。
交代寄合:知行高一万石未満の旗本で、知行地を持ち参勤交代を義務づけら
れていた。天狗党事件に関連すると思われる交代寄合は、下野国に陣屋を置
く那須衆を挙げる事が出来る。那須・福原・大関・蘆野・大田原氏など。

〇北関東一帯の大名家や旗本家(交代寄合)が自らの支配領地・知行所あるいは陣屋などへ兵員を向かわせ、また武器の運搬などで、栗橋関所を頻繁に往来している。

六月十一日
一急御用状到来左之通
以宿継致啓上候、然其表一昨八日附御用状昨九日相達致披見候、御申越之趣承知入記之書類受取可申候

其表:そちらの関所の方
入記:本研究会にとってもずっと謎の語句である。いろいろ推測は出来るが、いまもやはり不明と言っていい。
関連語に「入日記」があり、内容明細書とか商品の在中目録、あるいは金銭の収支、物品の出入などを日ごとに記しておく帳簿、いりにっき、とある(日本国語大辞典)。

〇あなた方(一昨8日付)の御用状が昨9日に届き拝見しました。あなた方の手紙の内容を承知しました。入記の書類を受け取って下さい。

一去亥年長州附属之浪士共此節手放相成、野州辺可立越哉之趣相聞候付、取締方被仰渡候間、則被仰渡書写壱冊差進申候、委細右ニ而御承知改方等厳重候取計可被成候、外御用筋ハ略ス
右之段可得御意如斯御座候、以上
 子六月十日             山口市郎次
                   松澤俊助
                   小菅十一郎
                      不詰無印
                   渡辺幸之助
      当方四人殿

亥年:文久三(1863)年のこと、前年には文久の幕府改革、生麦事件、mまた朝議において攘夷決定がなされている。この年の幕府・長州藩の動向を概括しておく。

3月 将軍家茂上洛
4月 幕府、五月十日を期して攘夷決行を奏上(朝廷に促され幕府も果たせるはずのない約束をした!)
5月 長州藩は、下関海峡通行の外国船を砲撃して、敗北
8月 八月十八日の政変(朝廷内でクーデターが起き、尊王攘夷派の公卿達が長州へ落ちていった=七卿落)この時点で、長州藩は朝敵となり、多くの長州藩浪士が幕府からも朝廷からも追討される立場に変わり、窮した浪士達が外国人に対するテロなど過激化する。

不詰無印:小菅十一郎は、この時出張御用で代官詰所にいなかったので、無
印ということ。

〇朝廷の後ろ盾を失った長州浪士達が、北関東にやってくるという噂が流れ、「浮浪之徒」の取締は、「被 仰出(渡)書」にある通り、いよいよ厳重に指令される。

別紙被 仰出書左之通
 去亥年長州附属之浪士共此節夫々手放シ相成候付、長州表不残引払、下野国日光山之方可立越由之趣も相聞候而者、何時何方可相越も難計、且先々おゐて何様之挙動可致も難計、関所番所おゐてハ兼相触置候通相心得、猶又増人数等差出厳重取締方いたし往来人精々相改、怪敷躰之もの一切通行為致間敷、若押可罷出と仕成候もの有之候ハヽ差押可被申立候、万一手向
等いたし候もの有之候ハヽ無用捨討取可申候
右之通井河内守殿被 仰渡候間此段申渡候
 子六月九日
  竹内下野守殿被仰渡候
     差引
       吉田昇太郎
井河内守:片苗字。井上正直(1837~1904)、老中・従四位下侍従、上総鶴舞藩主
竹内下野守:竹内保徳(1807~1867)、勘定奉行・外国奉行。開港延期の交渉の文久遣欧使節としてイギリスへも行った事あり。
差引:指図をする事、差配をする事(日本国語大辞典)。

〇被仰出書(おおせいだされがき)として、老中・勘定奉行から命令が関所にも下ったのである。怪しい者は通行させるな、無理矢理通行する者は取り押さえて其筋へ申し立てなさい、もし手向かいなどしたら容赦なく斬ってよいということである。

一支配手代中村新平出役付、先達御渡相成候御鉄炮附属之玉薬箱壱荷持参候由付、宿役人を以差出ス則受書
    覚
御備御鉄炮附属
 一玉薬箱     壱荷
   但御紋附雨覆共
 右之通被成御渡受取申候、以上
  子六月十一日    房川渡
              足立柔兵衛
              冨田潤三
              加藤摝兵
              嶋田耕平
     中村新平殿
 〆
中村新平:代官支配所手代。玉薬を関所に運んで来たのである。

〇関所御備鉄炮の玉薬が、栗橋宿問屋場まで運ばれてきた。受け取った宿役人は、関所にそれを持参し、関所が受書を差し出したのである。

六月十二日
 御用状到来左之通
 宿継ヲ以致啓上候、然野州辺徘徊いたし候浮浪之徒追討之義付諸家御達有之、御関所之儀一際厳重可取計別川々等心附、怪敷もの聢と相糺、時宜次第搦取討取可申旨、其外御書付出候間写差進申候、委細右ニ而御承知川陸共厳重御取計可被成候、尤右為御取締御代官儀無程出張いたし候間、為御心得申進候、右之段可得御意如斯御坐候、以上
   子六月十一日             元〆四人印
      此方四人殿
 入記
一御達書    壱冊


〇江戸の代官支配所に詰めている渡辺幸之助以下手附・手代より御用状が到来した。関所の厳重取締をいっそう心がけること、関東の大名・旗本にも「御達書」を渡し、厳重警戒・討取を指示したこと、また代官も取締のために御出張されることを伝えてきた。














2017年11月6日月曜日

〔第23回 「生捕」・「打留」・「召捕」・「乱妨」・「押借」〕


天狗党のゲリラ活動、そして農兵を主力とした代官鎮圧軍の戦闘の記述が生々しい。村々の百姓達も、同調-反発の深刻な対立・抗争を繰り返し、今でも各所に「天狗塚」なる死骸埋葬地が存在するそうだ。どの時代においても、戦いは、現場をクローズアップすればするほど、複雑怪奇な酸鼻的様相を呈する。以下の記述は、大変リアルな記述で、想像力を刺激するだろう。

一昨八日夜五時、御代官山内源七郎殿家来海老沢善介・岡田定吉、源七郎殿合印鑑弐枚持参差出断候付子細相尋候処、此度浮浪之徒御同人支配所野州竹下村相集、農家立廻り軍用金と唱押借等又乱妨致シ凡人数三拾人位之由、右竹下村山内源七郎殿手附・手代陣屋附農兵弐百人計召連、昨七日源七郎殿具足着用出馬之上右人数之内三人生捕、三人鉄炮ニ而打留、右真岡陣屋詰手代三澤升三郎・手付相澤傳九郎ゟ江戸小川町役所詰秋山鈴之助・川村良作宛之書面見届合印鑑等も相達無之、非常之義付以来之例ニ者不相成候趣申聞取計相通候、尤右戸田越前守殿ゟ加勢三百人右竹下村出張致候得共御用不相立候趣、真岡陣屋江者笠間牧野越中守殿ゟ人数五拾人相詰并宇部㠶之助殿ゟ人数六・七人詰居候由、浮浪之者此節常州北条六百人、同筑波辺五百人屯致し候由、真岡陣屋ゟ竹下村迄道四里位有之、且支配所村方名主父子ニ而浪人同意致し如何之義有之候処、相顕父逃去伜御加勢申上度と申陣屋に顕出候処、源七郎殿手ニ而召捕相成候由也

夜五時:午後8時頃
山内源七郎:真岡8万石支配の幕府代官、慶応四(1868)年五月十七日佐賀兵が真岡陣屋焼打ち、源七郎は手代達とともに獄門に処される。
竹下村:明治二十二(1889)年、市町村制施行により栃木県芳賀郡清原村となる。昭和二十九(1954)年宇都宮市に編入。現在宇都宮市竹下町。
農兵:水戸藩・長州藩の一時的設置がきっかけとなり、幕府の文久改革の一環として代官支配地や水戸藩などで積極的に募集し動員された。費用は豪農層の献金によって賄われたようで、主に村役人等が組織して幕府代官や藩によって動員された。
戸田越前守:戸田忠恕(タダユキ)(1847~1868)、宇都宮藩七万七千石第六代藩主。寺社奉行・奏者番。天狗党の乱の際、筑波山に出陣したが、幕府の命令を待たず帰陣。戊辰戦争では新政府軍。
笠間牧野越中守:笠間八万石第八代藩主牧野貞直(サダナオ)(1831~1887)寺社奉行・奏者番・大坂城代。天狗党鎮圧の幕府軍として戦う。
宇部㠶之助:「宇部」か「宇都」か判読しかねる。
北条:茨城県つくば市北条(ホウジョウ)。多氣山南麓。


〇真岡陣屋より江戸への書面を特別扱いで関所を通している。その書面によると、戸田宇都宮藩軍三百人は竹下村に出陣したが、戦闘の意欲がないとある。






2017年9月26日火曜日

〔第22回 栗橋関所にケヘル筒六挺御備〕


鉄炮と附属の品々、また竿鉛・焔硝・管の必要量が見積られ、関所に供与された。玉の「鋳減」分としての「竿鉛」や「筒払10度」分の「合焔硝」、「不発分」の「管」も見積られている。




〔翻刻文〕

六月八日
一御鉄炮御渡付請書差出如左之御鉄炮御差立方御用状拝見いたし候、然当御関所御備御鉄炮六挺其外附属之御道具共此度御渡相成候付、横田弥兵衛差添御差立被成候、別紙御目録之通無相違請取申候、尤玉薬箱之儀御渡被下候段御下ヶ札之趣委細承知仕候
一右御鉄炮御預証文壱通并御請目録書弐通差上申候間御落手可被下候
一立花出雲守殿家来印鑑壱枚先便被成御廻受取申候
右之段為御請如斯御座候、以上
元〆四人殿
入記
一御請書 三通
一御鉄炮御差立先触壱通
一御鉄炮御預証文御案書壱冊返上
 〆

〔訳文〕 

六月八日
 一鉄炮の供与につき請書を左のように差し出す
 鉄炮の発送につき御用状拝見しました。さて、こちらの御関所に御備の鉄炮六挺その他附属の道具、横田弥兵衛殿が附き添われ、この度拝受致しました。別紙目録の通、間違いなく請け取りました。尤も玉薬箱は近いうちに渡して戴けるという下ヶ札の趣、委細承知いたしました。
一右の鉄炮御預証文一通と御請目録書二通、差し上げますのでお受け取り下さい。
一*立花出雲守殿家来の印鑑一枚、先便でこちらへ送付なされ、受け取りまし   た。 
右の件承知いたしました。
元〆四人殿
入記
一御請書三通
一御鉄炮御差立先触壱通
一御鉄炮御預証文御案書壱冊返上
 〆
*立花出雲守:立花種恭(たねゆき)陸奥国伊達郡下手渡(しもてど)村(福島県伊達郡月館町)に陣屋をおいた藩。藩主は立花氏。外様。一万石。文化三年(一八〇六)立花氏の筑後国三池よりの転封によって成立。
 
〔翻刻文〕

  覚
一ケヘル筒    六挺
一胴乱負革共   六ツ
一𠝏袋管入真鍮セヽリ鎖付 六組
一三ツ股玉取共 六組
一万力    弐挺
一鋳形鋳鍋共 壱組
一右御筒入長持壱棹       (下ヶ札)
但御紋付油単共          「御書面玉薬箱之義
一両掛玉薬箱 壱荷           御渡之趣承知仕候」
但御紋付雨覆共           
六月十一日御渡相成申也
一御筒懸   壱居
一替火門   六ツ
  〆
右之通被成御渡請取申候、以上
子六月   房川渡中田御関所番
足立柔兵衛印
冨田潤三同
加藤摝兵同
嶌田耕平同

渡辺幸之助殿
小菅十一郎殿
松澤俊助殿
山口市郎次殿
〆      

        覚
一竿鉛五貫四拾目 但 鋳減之分見込玉数六百玉分
一合焔硝壱貫八百目
  内   壱貫弐百目 但 御備合薬六百発分
      六百目 但 筒払合薬当六月ゟ十二月迄拾度分
一管九百九拾粒
  内   六百六拾粒 但 御備管不発分見込六百発分
      三百三拾粒 但 筒払不発分見込六月ゟ十二月迄拾度分
 〆
 右之通被成御渡請取申候、以上
   子六月   *
          ―― 
           〇 
当方四人印

    元〆四人殿
*洒落た判じ物です。「棒・線・輪足す」で「房川渡し」か?



〔翻刻文〕

 一ケヘル御鉄炮  六挺
      但 小道具共
当御関所之儀先前ゟ御関所附御鉄炮無之処、追々非常御備筋等被 仰出候御時節付、今般御伺之上書面之御筒六挺附属之小道具共私共被成御渡慥奉預候、然ル上御筒勿論小道具至迄大切取扱、損所等出来候節早速其段申立御差図次第修復差加、都不取締之儀無之様可仕候、為後日御鉄炮預証文仍如件締之儀無之様可仕候、為後日御鉄炮預証文仍如件
       房川渡中田御関所番
 元治元子年六月   足立柔兵衛印
           冨田潤三 同
           加藤摝兵 同
           嶋田耕平 同
 福田所左衛門殿

御鉄炮預証文
    
 
*上紙(うわがみ)包紙のこと

〔訳文〕

一ケヘル御鉄炮  六挺
      但 小道具共
当御関所には以前から御関所附御鉄炮がなかったのですが、だんだん非常御備の必要も云々される時節柄でもあり、今般御願いした通り御筒六挺と附属の小道具を私共へ供与いただき、慥かに預かりました。この上は御筒は勿論、小道具に至るまで大切に取り扱い、破損等しました時は、すぐにそのことを申し立て、御差図に従って修復いたし、管理に落度なきよう致します。後日のためこのように鉄炮預かり証文を記しました。
      房川渡中田御関所番
 元治元子年六月   足立柔兵衛印
           冨田潤三 同
           加藤摝兵 同
           嶋田耕平 同
 福田所左衛門殿

御鉄炮預証文