2016年7月8日金曜日

〔第2回〕元治元年四月十七日~四月十九日


御用留書(横帳)

久喜市指定文化財 島田家文書NO.6 御用留書 一番」の元治元(1864)年417日の記述から始めます。

徳川家康は、1616(元和2)年417日駿府城において死去。翌年、日光に改葬され、東照大権現の神号を得ました。
3代家光は、1651(慶安4)年420日江戸城本丸において死去。日光大猷院霊廟に葬られました。
4月は、将軍二人の命日月であり、水戸の「浪人共」が日光に立ち入ったのには相応の訳があったのです。

〔翻刻文〕
 同十七日        水戸殿御家来
                小林平之進
 右宇都宮ゟ帰府之由目付方合印持参断事
            水戸殿目付方
                松下貞次郎
 右栃木宿ゟ帰府之由合印持参断

〔訳文〕
 四月十七日       水戸殿御家来     小林平之進
 右の者は宇都宮より江戸へ帰るとのこと、目付方の合印1)を持参して通行許可を求めた
            水戸殿目付方     松下貞次郎
 右の者は栃木宿より江戸へ帰るとのこと、合印を持参して通行許可を求めた

〔注釈〕
1「合印」:読み方は、「あいいん」(「地方凡例録七」・日本国語大辞典)。当研究会では「あわせいん」と読み慣らしてきた。関所には、予め判鑑(はんかがみ)という印影(今日の印鑑証明の底簿に相当)が各方面より届けられており、関所通行者はその判鑑の印影と同一の印影のある関所手形を提出して、通行許可を求めた。
 ここでは、小林平之進も松下貞次郎も、水戸家目付方の押捺の関所手形を持参してきたので、関所番士は予め届けられてある判鑑と対照して間違いないかどうか確認し通行を許可したのである。もちろん、合印―判鑑の形式を取らない関所通行もある。

〔翻刻文〕
四月十九日
一支配御役所ゟ申来書翰
宿継ヲ以致啓上候、然去ル十一日附御用状御申越有之候此度諸浪人共日光山立入候付、閑道等之儀箱館表ゟ帰府之御目付方ゟ尋有之候、取締方等達も有之候上、御申越之通折々御見廻り如何之儀も相聞候ハヽ、其段早々御申越可被成候

〔訳文〕
一支配御役所(※2)より(房川渡中田御関所)(※3)への書翰
 宿継(※4)でお手紙差し上げます。去(4月)11日付けの御用状に言われていることですが、この度諸浪人どもが日光山へ立ち入った事につき、(関所の)脇道等のことについて、箱館より江戸へ帰る(幕府の)御目付方よりお訊ねがありました。取締方等のお達しもありますので、御用状に言われている通り、時々見廻っては如何かと(周辺から)聞こえて来ますので、そのことについて早々にあなた方番士のご意見を(支配所)へ御手紙ください。

〔注釈
2「支配御役所」:房川渡中田関所(通称栗橋関所)は、元治元年当時、幕府代官福田所左衛門の管轄(支配)下にあった。福田は、1006人扶持、焼火之間詰の在府の旗本。江戸詰の手付・手代を22名抱えている。その中に、栗橋関所担当と思われる4人の名がある。渡辺幸之助(元〆役手付)・小菅十一郎(同)・松沢俊助(加判役手付)・山口市郎次(公事方加判役手付)。(『県令集覧』(文久310月改正))

3「房川渡中田関所」:久喜市ホームページ「第16回 栗橋関所」をまず御覧下さい。
また、近世の栗橋については、栗橋郷土史研究会ホームページ「第2回 栗橋の近世史」を御覧下さい。


4「宿継」:読み方は「しゅくつぎ」。宿駅から宿駅へと人馬を継ぎかえて人や荷物を送る事(日本国語大辞典)。日光街道の栗橋宿は、千住―草加―越谷―粕壁―杉戸―幸手―栗橋と七番目の宿駅である。各宿駅には人馬継立ての問屋場があった。


〔翻刻文〕
一御関所通方之儀付伺書之儀、御代官御伺引直差出置候処、御附紙を以御下知相済候間、写壱冊差進申候、委細右ニ而御承知可然御取計可被成候

〔訳文〕
一御関所の通方についての(あなた方関所番士の)伺書を御代官御伺という形に改めて(勘定奉行へ)差し出しましたところ、御附紙(おつけがみ)(※5)をもって御指図いただきましたので、その写壱冊を差し上げます。委細は御附紙の内容を承知なされ、そのように実行なさいますように。

〔注釈〕
5「御附紙」:伺書などで訊ねられた事に対し、上司が意見・理由・指示を回答して添付する別紙。下紙。下札。


〔翻刻文〕
一先達中追々御申越有之候御関所御備鉄炮之儀、当節柄御代官も種々御勘弁有之、
ケヘル筒六挺御買上之上御渡方之積御伺替相成候処、伺之通可取計旨被仰渡候付、早
速買上方取計候得共、いまた小道具揃兼候付、揃次第可成丈手繰いたし差立候間、左様
御承知可被成候

〔訳文〕
一先日中より引き続き御申し越しの御関所御備えの鉄炮のことについて、(物騒な)時節でもあり、御代官にもいろいろお考えいただいています。ケヘル筒(※6)を6挺買い上げ(御関所の方に)お渡しすることを(わたくしども支配所の者があなた方番士に替わって)伺いましたところ、(代官は)伺の通り取り計らうよう御命じ下さいました。早速買い上げにかかりましたが、また(鉄炮の)小道具が揃いませんので、揃い次第なるべく手に入れ(そちらに)送りますので、そのように承知なされて下さい。

〔注釈〕
6「ケヘル筒」:江戸末期の先込め式洋式小銃。天保頃、オランダから初めて輸入。ゲベール銃(筒)(日本国語大辞典)。

〔翻刻文〕
一右之通被仰渡候而者、猶又玉薬等御渡方可相伺処、遠路差送候ゟ其表ニ而買上出来候ハヽ、所御買上相伺候方弁利も可有之歟と存候付、合焔硝壱〆目付何程、鉤壱貫目付何程、管何粒付何程と申儀、製人等御糺直段書御取御差越可被成候、且又右焔硝其外非常御備之分何程、筒払等可相用分何程有之可然との御見込も有之候ハヽ、心得壱挺当何程と申儀是又御申越有之候様いたし度候

〔訳文〕 
一右の通り命じられましたが、さらに玉薬(たまぐすり)(※7)等の渡し方についても(上に)伺うべきでありましたが、(江戸から)遠路送るより、そちらの地元で買い上げることが出来るならその方が便利と思われます。合わせて焔硝1貫目いくら程、鉤1貫目いくら程、管何粒でいくら程と、製造人等に尋ね値段書を出させ(こちらへ)送って下さい。さらに焔硝その外について、非常御備の分はいくら程、(銃身の掃除等に)用いる必要分はいくら程という見込みがあるなら、目当てとして1挺当たりいくら程と是又御申し越しいただきたいのです。

〔注釈〕
7「玉薬」:読み方は「たまぐすり」。銃砲弾の発射に用いる火薬。弾薬(日本国語大辞典)


〔翻刻文〕
一三ヶ条目御申越有之候小川町歩兵屯所役所判之添触を以無才料ニ而継来候荷物之義、添触判鑑兼差出有之候合印鑑引合相違も無之候ハヽ、品柄不相分共継立可然義とも被存候得共、日光表相越候御目付方ゟ後締之義迄厳重心得、後連人数并荷物等通掛り候ハヽ留置、其段宿役人共ゟ届出候得差図可致旨達置候付、右荷物御差留被置候趣御申越迄ニ而子細不相分候間、右御差留之次第宿役人共日光表御目付方申出させ差図次第御継立被成候義候歟、又当方ゟ其筋へ申立継送方申進候儀候歟否、折返御申越可被成候
右之段可得御意如斯御座候、以上
 子四月十八日       山口市郎次
              松澤俊助
              小菅十一郎
              渡辺幸之助印
                 外無印 
    島田耕平殿
    加藤摝兵殿
    冨田潤三殿
    足立柔兵衛殿
     入記

〔訳文〕
一(あなた方関所番士の伺書の)三ヶ条目ですが、小川町歩兵屯所(※8)役所判の添触をもって(荷物の責任者たる才料を付けず)宿継運搬する荷物については、すでに差し出されてある判鑑に添触の合印鑑が相違なく引き合うなら、荷物の中身が何であろうと継ぎ立てさせてよいと存じます。ただ、日光表へ参る(幕府の)目付方より「後締」を厳重に注意し、後からやってくる人員や荷物等が通り掛ったら留め置き、宿役人(※9)共より(あなたがた関所番士へ)届け出があったら(あなた方関所番士が)(人員や荷物等の継送りについて)差図するよう命じて(目付方は日光へ)行かれてしまいましたので、荷物差し留めを命じられた趣旨がよく分からなくなりました。この荷物差留の次第につき、宿役人共が日光表の御目付方に申し出て(目付方の)差図に従って継ぎ立てすることになるのか、又は当方(代官支配所)より「其筋」(勘定奉行なり老中なりか、あるいは目付方の上司の大目付か)へ申し立てたうえで、その継ぎ送り方について(指示を仰ぎ)(あなた方関所番士へ)(その指示を)申し送ることになるのか、折り返し(あなた方関所番士の)御返事を下さい。
以上のように御承知下さい
 子四月十八日     山口市郎次
              松澤 俊助
              小菅十一郎
              渡辺幸之助印
                 外無印(※10) 
    島田 耕平殿
    加藤 摝兵殿
    冨田 潤三殿
    足立柔兵衛殿
     入記(1)

〔注釈〕
8「小川町歩兵屯所」文久三年(1863年)、常陸土浦藩土屋家の上屋敷が御用地となり、跡地は幕府の歩兵屯所となった。歩兵屯所は幕府の兵制改革にともない小川町のほか、西丸下、田安門外、大手前の四カ所に設置され、小川町には幕府歩兵第三番隊が入営した。

※9「宿役人」:宿駅の問屋場で宿継業務・休泊業務を担当する役人。問屋(といや)・年寄・帳付(書記)・人足指(人の差配)・馬指(馬の差配)など。多くの問屋場下役を指揮した。「宿役人」については、児玉幸多『近世宿駅制度の研究 増訂版』(昭和32年)に詳しい。

10「外無印」:支配所江戸詰手付4人中、渡辺幸之助のみ印がある。外の三人は何かの理由で当該文書に関わらなかったか、筆頭格の渡辺幸之助の印さえあれば済んだということか。

※11「入記」:不明
     
以上の解読・訳文・注釈については、平成283月迄当会前身の「久喜市栗橋町史古文書学習会」の講師を勤めて来られた三野行徳先生のご教示によるところ大であります。また、次回以降の分にについても同様のご指導を戴いております。先生からは、科学的な観点からの歴史、特に事実や文書の厳密な読み方をご教示いただきました。ここに久喜古文書研究会一同、深謝申し上げます。 

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