2016年8月7日日曜日

〔第6回 元治元年四月廿一日〕


栗橋の宿役人達の足労もあり、日光表への荷物(指物(さしもの)は、歩兵頭合印鑑と添触により、差し留め解除の運びとなった。



〔翻刻文〕
四月廿一日            水戸殿御分家松平大炊頭(※23)家来 
                       小幡友七郎
                       宇津良左衛門
                       小山五郎右衛門
                        従者弐人
従日光江戸屋敷迄通御同人内三宅右平次合印持参断、尤早駕籠抔((ママ))ニ而参り候由也    

右同日
一此程差留候歩兵組小川町屯所役所添触ニ而日光表差送り候荷物之儀付、宿役人共之内彼地罷出、歩兵掛り并御徒目付・御小人目付衆右差留相成候段相届候処、御目付方ニ者挨拶有之候者、当十五日役々大通行之節後締之義申達置候間、差留候勿論之義有之候間、差懸り候義付合印鑑相廻シ候間左之印鑑相渡候付持参御関所差出右荷物相通候様可申立旨ニ而、印鑑添触写相添当宿問屋良右衞門差出候間一応見請候迄ニ而相返候左之通り

         歩兵頭
   印鑑    河野伊豫守

     
添触写左之通り

  御用添触      小川町屯所

     
     添触
 一御用状 箱一封 (付箋)「此分認メ候得共相除事」
 一琉球包 八箇
 一莚包  三拾箇  
     合三十八箇
 右日光表歩兵組之者出張先可相届候、若於旅中行合候ハヽ、其所をゐて差出へくもの也
      小川町歩兵屯所役所
 四月十五日           千住宿ゟ日光道中問屋年寄中  
右之指物相通候、尤歩兵頭印鑑御関所留置候事

右同日御目付方日光表御用先返翰差出、左之通り
当十八日御差立之御用状昨廿日夜相達致拝見候、然御目付高木宮内殿印鑑壱枚・御目付衆并各方御連名之印鑑壱枚被成御達請取申候、尤江府ゟ御達可被成之処、日光表ゟ差向急御用向相兼、家来旅行之節引合可相通旨被成御達、委細承知いたし候
一日光表御警衛為御用歩兵方役々被差遣候付、右家来并荷物等往復之節歩兵頭河野伊豫守(※24)殿印鑑持参之者引合相違無之候ハヽ、無差支可相通旨是又被成御達承知致し候、依之御同人印鑑被成御渡請取申候

一当十六日小川町歩兵屯所役所添触ヲ以宿継無才領ニ而荷物三拾八箇日光表御用先被遣候付、差掛り栗橋宿役人共御関所申出候得共、通方御達并合印鑑等も無之付難相通旨申達差留候処、其段宿役人共御地罷越御役々及御届候処、歩兵頭河野伊豫守殿合印鑑ヲ以相通候様御目付方ゟ被仰聞候旨ニ而、伊豫守殿印鑑壱枚御渡之由ニ而持参、其上右屯所添触写相添御関所今七ツ時前差出候間、前条御達し印鑑へ引合候処無相違付荷物早々相通申候
右之段御報旁如斯御座候、以上
 四月廿一日                  足立柔兵衛印
                        冨田潤三同
                        加藤摝兵同
                        嶋田耕平同
       吉沢嘉一郎殿
       磯部福之助殿
 〆
右之通相認、栗橋宿ゟ鉢石宿迄送り、同所ゟ御目付方御用先可差出旨江府ニ而出ス(※25)


〔訳文〕
四月廿一日            水戸殿御分家松平大炊頭家来 
                       小幡友七郎
                       宇津良左衛門
                       小山五郎右衛門
                        従者弐人
右は日光より江戸屋敷まで通る御一行の内、三宅右平次という方が合印を持参いたし通行許可を求めてきた。但し早駕籠抔で参るそうである。    

右同日
一歩兵組小川町屯所役所の添触のみにて日光表搬送を期した荷物を今回差し留めた件につき、(栗橋宿の)宿役人が日光表へ参り、歩兵掛・御徒目付・御小人目付衆へ差し留めのことをお伝えしたところ、御目付方のお答えなさることには、今月十五日(栗橋宿の)通行の際、「後締」のことを命令しておいたのだから、差し留めは当然のことだとなされ、緊急のこと故、左の合印鑑を渡すのでこれを使用し御関所へ差し出し、荷物を通してもらうよう(関所番士へ)上申するよう(宿役人達は)指示された。そのように、印鑑へ添触写を添え、(栗橋宿の)問屋良右衞門が差し出したので、一応(見て写して)返した。左の通り


         歩兵頭
   印鑑    河野伊豫守

           (判鑑)

添触写は左の通り

  御用添触      小川町屯所

     
               (封紙)

     添触
 一御用状 箱一封    (付箋)「この分は写したけれども省略」
 一琉球包 八箇
 一莚包  三拾箇  
     合三十八箇
 右の荷物は日光表歩兵組の出張先へ届ける筈のものである。もし途中偶然出くわしたなら、そこで(この荷物を)渡すように
      小川町歩兵屯所役所
 四月十五日           千住宿より日光道中の問屋・年寄中へ  
右の指物を通した。但し歩兵頭印鑑は御関所に留め置いた。

右同日(四月二十一日)御目付方日光表御用先へ返書を差し出した。左の通り
今月十八日発送の御用状が、昨廿日夜届き拝見いたしました。ところで、御目付高木宮内殿印鑑壱枚・御目付衆并各方御連名の印鑑壱枚を受け取りました。但し(本来なら)江戸より届けられるのが筋ではありますが、日光表より急ぎの御用もあり、御家来の旅行の際の(関所)通行の序でに届けていただいたこと、委細承知いたしました。

一日光表警衛御用のため歩兵方の役人が派遣されますが、御家来や荷物等の往復の際、歩兵頭河野伊豫守殿の印鑑(手形)を持参していただき、引き合わせの上間違いなければ支障なく通さなければならない旨、是又ご指示くだされ承知いたしました。河野伊豫守殿の印鑑(判鑑)を渡していただき、確かに受け取りました。

一今月十六日、小川町歩兵屯所役所の添触によって、三十八箇の荷物を日光表御用先へ宰領もなく宿継運搬する件につき、その場に居合わせた栗橋宿役人たちが関所へ申し出て参りましたが、通行通知も合印鑑等もなく通す事ができない旨通達し荷物を差し留めにいたしました。そこで、宿役人たちは貴地へ参ってそのことを皆様へ御知らせしたところ、歩兵頭河野伊豫守殿の合印鑑によって通す様御目付方よりご指示を受け、伊豫守殿印鑑壱枚を渡されて持参したということです。その上、屯所の添触写を添えて、御関所へ今夕四時前差し出して来ましたので、前条の記述にある印鑑(判鑑)に引き合わせたところ間違いないので早々に当該荷物をお通しいたします。
いろいろこのように御報告致します。以上
 四月廿一日                  足立柔兵衛印
                        冨田潤三同
                        加藤摝兵同
                        嶋田耕平同
       吉沢嘉一郎殿
       磯部福之助殿
 〆
右の通認め、栗橋宿より鉢石宿までは(手紙で)送り、同所より御目付方御用先へ差し出してほしい旨、江戸で「出ス」。


〔注釈〕
※23水戸殿御分家松平大炊頭:水戸藩分家の第9代宍戸(ししど)藩主松平頼徳
   頼徳切腹の経緯は、こちら

※24歩兵頭河野伊豫守:河野権右衛門通か、のち歩兵奉行。


※25「右之通相認、栗橋宿ゟ鉢石宿迄送り、同所ゟ御目付方御用先可差出旨江府ニ而出ス」について、筆者は、「江府ニ而出ス」の意味がよく分からない。読者諸氏のご教示を願いたい。






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